電気も水もないスラムで生活

「困窮邦人」という言葉をご存じだろうか。

 フィリピンで経済的に困窮してしまった日本人のことだ。その多くは中高年層の男性で、日本のフィリピンパブにハマり、若い女性を追いかけて南国へ渡る。

 ところが女性とその家族に有り金を注ぎ込んでしまい、金の切れ目が縁の切れ目で女性から見放され、フィリピンの庶民に助けられながら何とか生き延びているのだ。

 日本の親族とも音信不通で、送金を受けられないために帰国できず、体調を崩して亡くなる困窮邦人も少なくない。

 外務省の統計によると、在外公館に援護を求めて駆け込む日本人で、「困窮」に該当するケースは在フィリピン日本国大使館が断トツで多く、直近の統計がある2020年は119件に上り、2位の在タイ日本国大使館の26件を大きく引き離している。

「僕の生活はサバイバルそのもの。一時期は綱渡りのように不安定でした」

 そう振り返る吉岡さんが困窮に至るきっかけも、地元四国のパブだった。そこで親しくなった若い女性と結婚し、「フィリピンで商売できるから来ない?」と誘われ、2004年に南国へ飛んだのが運の尽きだった。

「でも到着してみたらね、商売の話はデタラメだったのよ。いろいろあって彼女の家族とも関係が悪くなった。日本にも借金があったから、帰国したくなかったんです」

 吉岡さんは、フィリピンに骨を埋める覚悟で、合鴨の卵を拾い集める仕事や縫製工場など職を転々とするうちにロナさんと知り合い、彼女の家に転がり込んだ。

 ところがそこはスラム街だった。吉岡さんは、水道も電気もない、ブロックが積み上げられただけの粗末な家で暮らすことに。

「水は近くの井戸でくみ、夜は灯油ランプをともしました。家の周囲に生えている芋の葉っぱを食べて生活していたときもあります」

洗濯板を使い自分の手で家族のために洗濯をする吉岡さん
洗濯板を使い自分の手で家族のために洗濯をする吉岡さん
【写真】実際に海外で困窮生活を送る吉岡さん(60歳・仮名)の様子

 地べたに這いつくばって生きる。それを可能にしたのはタガログ語を頭に叩き込み、地域社会にどっぷりつかっていたためだ。

 フィリピンには現在、約1万5500人の日本人がいるが、吉岡さんほど現地に溶け込んでいる日本人は極めて珍しい。だからお金がなくとも「優しいし、私の話に耳を傾けてくれる」と、ロナさんもついてきてくれた。

 その後も紆余曲折あったが、吉岡さんは今、高齢男性の介護や畑仕事などをしながら、共働きのロナさんと二人三脚で、貧しいながらもやっと安定の暮らしを手に入れた。

「フィリピン人はフレンドリーですぐに友達になれる。気候も温暖だし、冬になると身体を痛める人はこっちに来たらいい。俺はフィリピン大好きです」

シングルベットに蚊帳をかけ、子どもらと寝る吉岡さん
シングルベットに蚊帳をかけ、子どもらと寝る吉岡さん