「私は織田信長の生き写し」

 11月中旬になると、SNSで戦国武将の織田信長を引き合いにこう共通点を語るように。

《信長のロジックは思春期の私に非常に大きな影響を与え、私は彼の生き写しのようなロジックを形成することとなる。(中略)私の本来の気質が彼に似ていたのだろう。結局、彼のようなやり方しかできないようである》

 ホトトギスの俳句を持ち出すまでもなく、信長は敵とあらば、ためらいなく焼き討ちにするなど冷酷だったとされる。弟・信勝を謀殺するなど身内にも容赦なかった。

 嘉朗容疑者はこう続ける。

《信長のロジックは非常に合理的で理にかなっており、その発想は常にデジタルで完全に私の波長と一致していた。(中略)この文章を書き始める前、私は両親について思いを巡らせていた。このあと遅咲きの私の人生がどのようになるのか判らないが今は日を追うごとに心地よい落ち着いた心境となっていくのを感じている》

 1か月後、事件は起こった。

 サッカーW杯で容疑者が応援するブラジル代表がクロアチア代表との準々決勝で負けた3日後にあたり、身柄を確保されたのはブラジル国籍の住民が多い浜松市。自宅からは約195キロ離れている。10月下旬には現地のブラジル人客の多いバーを訪ねていた。

 4月ごろは、家族の思い出を振り返るゆとりがまだあった。

《私が小学生の頃、私と両親は珍しく家族と私たちの家の近くにある“大山”と呼ばれる山間の沢を訪れた。沢の脇の水辺を三人で歩いているとき、“ヤマヒル”と呼ばれる蛭が母の足に付いてしまった。山間の蛭は大型で見慣れない方が観るとびっくりするのだが、母も驚いて悲鳴を上げた》

 と情景描写豊かに綴る。

 同級生の父親はこう話す。

「本来はおとなしい子。親はいつまでもプラプラしている息子の面倒を見てあげられるわけじゃない。自立させようと厳しく言い、怒鳴り合いになったのだろう。結末はあまりに気の毒だ」

 家人の帰らぬ自宅の玄関先には複数の花が手向けられていた。周辺住民によると、もともとは緑色の外壁ではなく、白っぽかったのを数か月前に塗り替えたばかりという。

両親の遺体が発見された自宅。外壁は目立つ緑色=平塚市
両親の遺体が発見された自宅。外壁は目立つ緑色=平塚市
【写真】新谷容疑者のナルシスト写真、SNSに書き込まれた両親への恨み節など

 パルメイラスのチームカラーはグリーン。最近の容疑者は緑色のスーツを着るなどパルメイラス一色だった。親子で激しく言い争う一方、両親は息子の気持ちに寄り添えるものは尊重しようと、わざわざチームカラーに塗装したのだろうか。それは悲しい最期を迎えた両親の「苦悩」をあらわす色に見えた。