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ー ロックミュージシャンの忌野清志郎さんの影響

 2023年3月は、“4月以上”に残酷な季節になってしまった。

「アンガージュマン(政治や社会問題に積極的に参加すること)」という言葉を体現した人が、相次いで亡くなったからだ。

 音楽家の坂本龍一さん。71歳。生きていれば、もういくつ大きな仕事ができたかと思う若さ。病魔をなだめながら、昨年12月には、ピアノ・ソロ・コンサートを約30の国や地域に配信した。それが晩年の仕事になってしまった。

 坂本さんが亡くなる25日前。3月3日に88歳で森へと帰っていったのは、作家の大江健三郎さんだ。

ロックミュージシャンの忌野清志郎さんの影響

『YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)』で世界を席巻し、日本人で初めてアカデミー賞で音楽賞を受賞した坂本さんは「世界のサカモト」で、ノーベル文学賞を受賞した大江さんは「世界のオオエ」。世界に知られた2人は、原発や環境問題など社会的課題に取り組む知識人であり芸術家という共通項を持つ。

 メディアは、わずか3か月の間に、『YMO』のドラマー・高橋幸宏さんと坂本龍一さんが亡くなったという時間軸を取り上げるが、わずかひと月の間に大江さんと坂本さんが亡くなったことに、暗雲たる気持ちになる。

 次の世代は果たしているのだろうか。権力やおかしな空気に対し、そのことをまず敏感な嗅覚で察知し、決して大声ではないけれど、きっぱりと「ノー」と言い切れる人が。大江さんも坂本さんも、相手を圧倒して、発言を制して、早口でまくし立てるようなタイプではなかった。静かに朴訥と。それゆえ人々は耳を傾けた。

 随分昔のこと。JR高円寺駅の南口、環状七号線近くの一軒家には、「坂本 矢野」という苗字が並列書きにされた表札が出ていたという。

「そのころの坂本さんは、自分の興味のないことには関心のない人でした。作家の村上龍さんらとトーク番組に出ていた際も、議論に加わらない際には『興味がないんで』と斜に構えていました。そのことを、亡くなった評論家の吉本隆明さんにたしなめられていました。その後、坂本さんは吉本さんの自宅にうかがうなど教えを請い、社会的な問題に切り込むようになったという」(書籍編集者)

 坂本さんは生前に出演したラジオで「みんなもっと言いたいことを言いましょうよ。個人もミュージシャンもメディアも政治家も」と、呼びかけていた。その源流になったのは、原発問題などに歌で切り込んだロックミュージシャンの忌野清志郎さん(2009年5月2日死去)のふるまいであり、言動であった。

 結果的に晩年の発言になってしまったが、坂本さんは最後まで声を上げ続けた。東京・神宮外苑の多くの緑を伐採する再開発計画に反対する言葉を、東京都の小池百合子知事らに送ったのである。死を覚悟したうえでの、まさに命がけのメッセージ。

 知識人や文化人が政治や社会に鋭く意見し、それを受け止める政治家がいて、社会がある、という当たり前の姿がどれだけ当たり前であり続けるのだろうか。

 大江さんが亡くなっても大江文学は読み継がれ、坂本さんが亡くなっても坂本さんの音楽は聴き継がれ、2人の行動はバトンを渡された次の世代のアンガージュマンによって引き継がれる。

 小説と音楽と言葉に、残されたものはずっと触れ続けることができる。それがせめてもの慰めになる。