歌手・麻倉未稀のブレイク

 歌手麻倉未稀は、2年後にブレイク。映画『フラッシュダンス』の挿入曲をカバーした6枚目のシングル『ホワット・ア・フィーリング』が、ドラマ『スチュワーデス物語』の主題歌になり、大ヒット。

「この歌は、一度はお断りしたんです。難しいし、アイリーン・キャラさんのようにはとても歌えない。でも、“キミに向いている”とみんなが言ってくれるから、“向いている”という意味が知りたくて挑戦したんです。で、わかったのは、カバー曲は原曲以上に歌うのが狙いじゃない、原曲の魅力を広げられるのが面白さなんですよね」

 歌うことの他にも挑戦はあった。麻倉さんは、この曲の日本語訳詞も手がけた。

 そして'84年に『ヒーロー』が爆発的にヒット。

「すでに売野雅勇さんの日本語訳詞ができていて、なんでこんなにスラスラ歌えるように書けるんだろうって、あらためてプロの作詞家ってすごいなと思いました。ただ、原曲の歌詞は“I need~”で、日本語訳詞は“You need~”なんです。“I”と“You”とではちょっと違う感情になってくるので、そこを自分の中でどう理解したらいいのか? よくよく考えて、胸に抱いているものは“あなたも私も一緒なのよ”というところに思いが至ったら、歌うたびに歌詞の意味が深く刺さってきました」

 翌'85年にはボン・ジョヴィの『RUNAWAY』をカバーし、ドラマの主題歌にもなった。全国ツアーも順風満帆。都会派美人シンガーは押しも押されもせぬ“洋楽カバーの女王”となり、'80年代のミュージックシーンをスタイリッシュに駆け抜けた。

 しかし、麻倉さんはこう振り返る。

「いい時期がずっと続くとは思わなかった。ヒット曲は出たけれども、なんか宙に浮いているような気持ちでした」

自分を見失い地に足が着いていないことを痛感

ヌードを披露し話題となった写真集『Si麻倉未稀』
ヌードを披露し話題となった写真集『Si麻倉未稀』
【写真】歌手への道が開けた“モデル”時代の麻倉未稀が綺麗すぎる

 '93年5月。驚いたファンも多かったに違いない。32歳の麻倉さんは、大御所・大竹省二さんが撮影した写真集『Si麻倉未稀』でヌードを披露した。

「写真集のオファーがたくさんあって、断るのにくたくたになっていたら、以前から家族みたいに懇意にしてくださっていた大竹先生から“やるか?”と言われて。大竹先生に撮ってもらえば、もうオファーは来なくなるだろうと思って、お願いしたんです」

 “見失った私”を探す旅─それが写真集のコンセプト。ポルトガルを舞台に活写された作品には、当時の麻倉さんの気持ちが投影されていた。'95年7月には映画『卍舞2』で武田久美子さん、三原じゅん子さんと共演。時代劇で夫に尽くして耐え忍ぶ妻という役どころ。峰岸徹さんとの濡れ場もあった。

《落ち目になって脱いだ》

 そんな見方をする人たちもいた。邪揄する声は麻倉さんの耳にも届いた。

「映画に出た理由は私のイメージとは真反対の役だったからで、いろんな見方をする人がいるだろうなとは思っていました。私の30代、40代ってすごく中途半端で、“なんとかしたい”と思っていながら、“自分を生きている”という感覚が希薄だったんです。デビューしてからずっとつくってきた自分がいて、30代の終わりごろに“もっと本音で生きたら?”って、私を育ててくれたプロデューサーからアドバイスされたんですけれども、自分の本音がどこにあるのかわからなかった。目の前に大きな川があって、ボートに乗れば簡単に渡れるのに、そのボートにたどり着けないというか……」