長野県・小諸に住み、野菜作りを始めたのも、たまたまだった。

「祖母が故郷の小諸で暮らしたいからということで、私がついていきました。そうしたら、コロナ禍になってしまい東京に戻れなくて。時間をもてあましていたので、あいている畑で野菜を育ててみたんです」

「生きてる」の概念

 始めてみたら、思いのほかハマった。

「東京では、特に野菜の旬を意識しなかった。お腹を満たすために適当に食べていました。でも自分で一生懸命に作ると、食べることも丁寧になる。自然が相手だから、天気とか季節の移ろいとか、そういうことに敏感になって暮らしも丁寧になる。そんな生活が心地よくて、農ライフの虜になりました。まさか自分がね、とびっくりです」

 “東京から来た女の子”を、周囲の農家の人はどう見ていたのだろう。

「見守ってくれていたというか、口出しはしないけれど、聞くと丁寧に教えてくれました」

 気がつけばいつの間にか農業に携わる一員として迎えられていた。

梅の実の収穫や、ぶどう畑など、いろんな野菜、果物の育て方を学ぶ武藤千春さん
梅の実の収穫や、ぶどう畑など、いろんな野菜、果物の育て方を学ぶ武藤千春さん
【写真】紅白歌手だった武藤千春さんが麦わら帽子をかぶって農ライフ!

「畑仕事って一年中忙しいようですが、作付けを工夫して作業のない時期をつくったり、自分の暮らしを自由にデザインできる。農ライフを楽しみながら、別なことにもトライできるのが私には合っていた。最近は廃棄野菜を何とか使えないかと農家さんと話しています。形が悪いだけでおいしい野菜を捨てちゃうなんてもったいないですよね」

 武藤流の自由な発想で、ぜひ既成概念を覆してほしい。

「芸能の世界からの転身で、よく驚かれますが、新しい経験には学びと変化と刺激があります。やりたいなと思ったことを面白がってやっていく、そうやって楽しんで幸せを感じる。ちょっとオーバーな表現ですが、それが生きてることだって思ってます」

 今日も武藤さんは、澄んだ空気の中、トラクターを運転している。

武藤千春さん
1995年生まれ、東京都出身。16歳から19歳まで人気ガールズグループに所属し紅白歌合戦、武道館コンサートなどで活躍。卒業後はアパレルブランド「BLIXZY」を設立。現在は東京と長野で2拠点生活を送りながら、野菜やワイン用のぶどうの栽培に取り組む。小諸市農アンバサダーに就任。'22年にはアーティスト活動もスタート。

取材・文/水口陽子