「楽しそうな娘の姿を知ると、つらくなってしまうんです。なんで助けてあげられなかったんだろう。本当はそんな楽しい日々がずっと続いていたはずなのにって……」

 そして、行政の対応について怒りを滲ませる。

「Y子が秋田市へ転居した際、愛実は施設で保護されており安全だとして、秋田市は大仙市から要請のあった情報の引き継ぎを拒否したんです。注意深く見守る必要がある要保護児童の対象からも除外しました。最終的に愛実と関わっていたのは児童養護施設だけでしたし、Y子と接していたのはケースワーカーだけでした。愛実を一時帰宅させるなら、母子両方の状況を複数人で注意深く見守るべきなのに……」

生前の娘と最後に会った時の思い出

 母子への手厚い支援が失われていた。Y子は当時『統合失調症』(※編集部注:刑事裁判では『妄想性障害』と認定)と診断されており、主治医も「母親の病気は重く、子の養育は無理である」と述べていた。

 今回の判決で秋田地裁は、一時帰宅中にネグレクトや暴力による虐待はあったと認定。にもかかわらず、母子の関係は良好で、愛実さんに重大な危害が加えられることは予測できなかったと判断した。

「死なない程度であれば、虐待しても問題ないと言っているようにしか聞こえない。危険な判決だと思います」

 愛実さんを一時帰宅させる判断も、大仙市から秋田市へ転居してから変化していた。転居前は家庭訪問や医師との面談によりY子の生活状況や病状の把握に努め、児相が会議で帰宅の可否を決定していた。しかし、秋田市に転居してからY子の情報が把握されないまま、児童養護施設にその判断が一任されていたのだ。

「児童養護施設への帰宅時間も毎回遅れていたのに、それを容認していたのもおかしい。事件発生時、行政が即座に警察へ通報して自宅内の状況を確認していれば、愛実は助かっていたかもしれないんです。DV法の運用も、被害者の意見を聞くだけでなく、申請後に事実の確認が行われるべきでしょう。愛実の命を救える機会は何度もあったはずです

 行政の不備を痛烈に批判するが、裁判を提起したのには、こんな思いがあったと続ける。

「間違いがあったと純粋に謝罪をしてほしいだけなんです。私に対して“金が欲しいんだろう”と話す人もいますけど、お金が目的ではありません。2度と同じことが起こらないように、真摯に反省する誠意を見せてほしいだけなんです」

 ここ数年で、阿部さんの両親や祖母が他界した。今は実家にひとりで暮らす。

「広い家なので、寂しいですね。死んでしまいたいと思うこともありますが、私が生まれてきた意味は今回の問題を伝えることなのだと思っています。生前の愛実に会えたのは、離婚直前の2009年3月22日でした。2歳の娘は“おとーしゃん、あそぼー”と駆け寄ってきたので、たくさん“高い高い”をしたんです。喜んでくれて、嬉しかった。遊び疲れて寝てしまった愛実の姿が、今も忘れられません」

 そう話し、かつて娘を抱き上げたその両手を、阿部さんはじっと見つめた――。