不妊治療や産後うつ、その時夫は

 滝沢がゴミ清掃員の仕事を始めたのは、1人目の子どもができたので、出産費用のためだった。

「不妊治療で結構、高額を使ったり、高齢の初産だったので、大学病院での出産となって費用も倍になっちゃって……。それで40万円くらい足りなくなってしまったので、どうしても用意してほしいと夫にお願いしました。

 とにかく子どもを産むためには稼いでくれって感じだったので、そこに“芸人として〜”という考えはなくて、そのときはふたりとも必死というか、もう芸人仕事で稼いでとか云々じゃなくて。生きていくために……。やっぱり子どもを持ったので、育てていく責任があるから、その時期はお互いに芸人でなんとかという気持ちはなかったです」

 その後、滝沢家を苦難が襲う。友紀さんが産後うつと診断されたのだ。

「2人目を産んだのは46歳でした。親の協力は難しい状態で、とにかく2人だけで2人 の子を育てるというのが意外にキツくて。さらに産後は夫が日中はゴミ清掃、夜にライブだったりして家にいない状況だったので、1人で全部やらなきゃいけなかったのですが、高齢出産のうえに産後なのでフラフラで。さらに上の子は“赤ちゃん返り”して……。

 ある程度は区のファミリー・サポートさんに支援を頼んでいたんですが、自分が休む時間が十分になかったので、だんだんと疲れが取れなくなってきちゃって。最初、手がしびれて抱っこができなくなってきて、そこからは本当にうつの症状で、涙が訳もなく流れて、全部悲観的になっちゃって、ご飯が食べられなくなって、眠れなくなって……」

 そのとき夫・滝沢は……。

「表面上は淡々としていましたが、心の中ではすごく焦っていたと思います。私が倒れちゃったらどうすればいいんだと……。でも仕事をしてお金を稼がなきゃいけない。どう手伝えばいいか、どう助けたらいいかわからない、その時間もないと、もうお互い八方ふさがりな状態でした」