82年に発売された新田純一の2枚目のシングル『サマーセクシー』
82年に発売された新田純一の2枚目のシングル『サマーセクシー』
【写真】マッチに激似と言われたデビュー当時の新田

事務所をクビになった理由

 歌手として順調な滑り出しだったが、新田は突然アイドル活動を停止する。

事務所をクビになったわけです。僕を応援してくれていたホストクラブの社長の奥さんとごはんを食べに行って、そのホストクラブが浅草にあるから行こうよとなって。そうなると“ちょっと歌ってよ”と言われるじゃないですか。1曲だけ歌ったら20万円ぐらいチップをもらえた。それがバレたんです

 事務所の庇護下から離れると、社会経験のない新田は生活に困ることに。

21歳くらいでしたね。電車の乗り方も家賃についても知らなかった。電気代なんて払ったことないから、電気を止められたこともあります

 そこで俳優に転身。時代劇で活躍するように。

紅白歌合戦の裏で放送されていた日本テレビ系の年末時代劇スペシャル『忠臣蔵』は里見浩太朗さんが主役。撮影は京都で、そうそうたる役者さんが出ていました。僕は時代劇なんかほとんどやったことないのに、まあまあ重要な役。

 殺されることを覚悟して白装束を着て歩くシーンは何回やってもダメで……。NGを20回くらい出して、なんとかクリア。延々と走るシーンでは、マネージャーやプロデューサーから“このシーンがダメだったら東京に帰す”って言われて。必死になって走ったら、監督が“よかったよ、今の走り。涙した”と言ってくれたこともありました」

 その翌年以降も『白虎隊』『田原坂』『五稜郭』に出演。『長七郎江戸日記』(日本テレビ系)、『あばれ八州御用旅』(テレビ東京系)、『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)などでレギュラーに。

今は美容と健康と食育を総合的に学ぶファスティングマイスター学院の顧問として指導者をやっています。もちろん、歌やドラマのオファーがあればやりますよ。ただ、顧問としての立場がある中での二刀流というか。orじゃなく、andの生き方をしていけたらいいかなあ。2つ、3つを掛け持ち、そんな生き方ができたらおもしろいね

 “花の82年組”は還暦を過ぎて、ますます輝いている!