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ー 亡くなる3日前にはテレビ出演に意欲

 突然の訃報だった――。タレントのryuchellさんが12日、都内にあるマンション内の事務所で倒れているところをマネージャーが発見し、まもなく死亡が確認された。

 現場の近隣住民はこう語る。

午後5時半ごろ、マンション前に消防車や救急車が集まってきて、付近一帯が騒がしくなったんです。午後8時ごろに複数の捜査員が、遺体らしきものをブルーシートで覆いながら運んでいきましたよ

亡くなる3日前にはテレビ出演に意欲

 ryuchellさんは、高校卒業と同時に沖縄から上京。読者モデルの傍(かたわ)ら、原宿のアパレル店でアルバイトをしていた'14年にpecoと知り合い、交際に発展。

「すでにカリスマモデルとして活躍していたpecoさんが、'15年、バラエティー番組でryuchellさんを彼氏として紹介。カラフルな服装を身にまとい、中性的なキャラクターが“ジェンダーレス男子”として注目を集め話題に。以後、個性派カップルとして、テレビ番組などで引っ張りだこになりました」(ファッション誌編集者)

 勢いそのまま'16年にふたりは結婚。'18年には息子も誕生し、積極的に育児に参加していたryuchellさんは、同年の『イクメンオブザイヤー』の芸能部門を受賞。“新時代の夫婦”として注目されていたが――。

「以前から自身の性自認に疑問を抱いていたようで、夫らしく生き続けることに違和感を覚えるようになり、pecoさんにカミングアウト。話し合いの末'22年の8月、離婚に至りました」(スポーツ紙記者、以下同)

 ryuchellさんは離婚してからも家事や育児を助け合う “新しい家族の形”として、3人で暮らしていくことを宣言。

離婚発表のころから髪を伸ばしたり、よりフェミニンな服装に身を包んだりと、さらに個性的になっていきました。そういったryuchellさんの姿にSNS上では “父親の役目を放棄している”などと非難が集中しました。頻繁(ひんぱん)に誹謗中傷の的になったことから、自身のSNSのコメント欄を閉鎖したほどです

 たび重なる言葉の暴力が、彼を死に追いやったのか。

亡くなる4日前、次の仕事のため髪の色を変えたことをSNSに投稿。実は3日前にもテレビ番組の収録に参加するなど仕事への意欲を見せていたんです。なぜ、このタイミングだったのか……

 逝去の前日は、息子の5歳の誕生日だった。

pecoさんは子どものサマースクールのため、7月の頭から母子ふたりでグアムに滞在中でした。この件も含めて、最近のふたりはラブラブぶりが鳴りを潜め、お互いに別行動が目立つなど、心の距離があるようでした。離婚後も同居していた自宅には、息子の誕生日と同じナンバーの車が停まっていましたが、最近は全然見かけなくなっていたんです」(pecoの知人、以下同)

 生前、ryuchellさんは息子への“約束”を心に秘めていたようだ。

彼は離婚後もpecoさんと良好な関係を築きながら、誰もが認める“ハッピーな家族”を目指して頑張っていました。そのため“息子が大人になるまでは働いて、パパとしての責任を果たすつもり”とも語っていたんです。“そうすれば、いつか息子も自分のことを理解してくれる”と。その約束が果たされなかったのが、残念でなりません……

 残されたpecoと息子の悲しみは、計り知れない。