「宝くじ」の歴史

 ここ日本における宝くじの始まりは、諸説あるが江戸時代初期の「富くじ」だといわれている。

 以後、寺社の修復費用調達の手段として浸透していくが、天保の改革(1842年)によって発売が禁じられると、そのまま103年もの長い間、富くじは表舞台から姿を消すことに。

 ところが、第2次世界大戦の最中である1945年7月に、軍事費の調達を目的に1枚10円、1等10万円が当たる富くじが「勝札(かちふだ)」として復活……するものの、抽せん日を待たずに終戦を迎えたため、「負札(まけふだ)」と呼ばれるようになったという。

 その後、戦災からの復興を目的に、地方自治体の復興資金調達をはかる方法として「宝くじ」の名で定着化。

 現在、宝くじの発売元は地方自治体だが(ジャンボ宝くじは、「全国自治宝くじ」ともいう)、そのルーツをさかのぼると戦後の復興資金調達ということになる。

 約45%が当せん金として分配されると先述したが、販売実績額の内訳を説明すると、約40%が売上収益金として全国都道府県および指定都市の財源──すなわち、公共事業や教育支援といったインフラ整備に生かされることになる。

 残りの約15%が、宝くじ券印刷費、売りさばき手数料、宣伝費などだ。

 宝くじの販売はみずほ銀行が行っているため、同行の専売特許だと思う人もいるかもしれない。だが、「他行でもできます」と前出のみずほ銀行宝くじ部は説明する。

「発売元である地方自治体が総務省に販売申請を行い、販売などを行う銀行を募集します。そのため、他行も手を挙げることはできます。ただ、当行は長年にわたって宝くじの販売を受託してきたので、他行よりも知見があることは間違いないと思います」

 そもそも「宝くじ部」があること自体驚きだが、“餅は餅屋”よろしく、一日の長があるためみずほ銀行が運営しているというわけだ。

「1945年の年間販売実績額は3億円でしたが、'50年になると32億円と約10倍に。'70年代に入ると100億円の大台を突破するようになります」

 現在は「賞金」のみを扱うが、物資が不足していた時代は、タバコや金巾(かなきん)といった布、お米などが賞品として扱われていたケースもあったという。

 '80年代になると、スーパーカーが当せんすることもあったそうで、時代に合わせて宝くじも変化していることがわかる。

「大きなターニングポイントとなったのが、'80年に登場した1等賞金3000万円を実現した『ドリームジャンボ宝くじ』。これを機に、ドリーム・サマー・年末の3大ジャンボ時代がスタートし、宝くじは多くの人から親しまれる存在へと変わっていきました」

 新たなファンを獲得したことで、宝くじも多様化していく。インスタントくじ、数字選択式宝くじといった新しい宝くじが登場し、2015年には1等7億円と前後賞各1億5000万円の年末ジャンボが登場するまでになる。

ジャンボ宝くじなどは『映像表示式電動式大型風車型抽せん機』で抽せんが行われている
ジャンボ宝くじなどは『映像表示式電動式大型風車型抽せん機』で抽せんが行われている