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ー 小柳ルミ子「ミュージカルをやりたかった」

 人生に「たら」「れば」はないけれど、振り返ると「あのときこうしていれば……」と思うことは誰しもあるはず。しかも「転生ストーリー」が流行し、メタバース(仮想空間)が身近となった昨今、想像が実現する可能性も……。そんなもう一つの道を歩んだ自分を、小柳ルミ子さん(71)に語っていただきました!

 1971年、18歳で歌手デビューをした小柳ルミ子さん。デビュー曲の『わたしの城下町』がいきなり160万枚を突破。以降も数々のヒット曲に恵まれたが、女優としても、1983年に日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞、翌年には最優秀主演女優賞を受賞と、華々しい功績を残してきた。そんな小柳さんだが今だにふと、「やり残した」と思うことがある。それがミュージカルだ。

小柳ルミ子「ミュージカルをやりたかった」

小柳ルミ子というと“歌う人”と思う方が多いでしょう。でも私は子どものころから踊りもずっとやってきたんです。歌と踊りをしているときが一番自分らしいと思える瞬間。だからミュージカルをやりたかったんですよね、本当は」

 実は小柳さん、デビューしてすぐのころから所属していた会社に「ミュージカルがやりたい」と直談判していた。

「今でこそ、ミュージカルは当たり前になったでしょう。みんな見に行くし、ファンも大勢います。でも52年前は、日本にまだミュージカルのミの字もない時代だったんです。会社の部長には『ルミ子、ミュージカルなんて商売にならないぞ』とはっきり言われましたね」

 歌って踊る芝居なんて宝塚歌劇団以外、絶対に日本では流行らない。歌謡曲を歌えというのが会社の方針だった。

「ありがたいことに歌が売れましたから(笑)。会社としては、歌一本に絞ろうと思うのも仕方ありません」

 しかし、ミュージカルへの未練はずっと心の中にくすぶっていた。それが弾けたのが、1980年、シングル『来夢来人』を発売したときのこと。新曲のお披露目として、かつて浅草にあった国際劇場のステージで歌った。その際、大勢の男性ダンサーをバックに従え、自身も華麗なダンスを披露した小柳さん。すると、これを見た紅白歌合戦のスタッフから「紅白でもやってほしい」とオファーを受ける。

「その年の紅白で同じようにダンサーを従えて踊ったら、『小柳ルミ子は踊るんだ!』とたくさんの反響をいただいたんです。やっと私が踊る人だと認知されるようになりました。そうしたらもう、もっとダンスがしたい!と火がついちゃったんです」