操子さんは次女で、上には姉がいた。

「2人とも明るい性格の、いいお嬢さんたちでしたよ。お姉さんは早くに嫁いで、操子さんは晩婚で4年ほど前に結婚した。ええ、とてもいいお婿さんですよ」(同・住民)

 なかなか子宝に恵まれず、1年前にやっと授かったのが、百花ちゃんだった。別の近所の住民は、

「そりゃもう、若夫婦だけでなく、ご両親も大喜びでね。操子さんは子育てに専念できていたようだし、傍目からは何不自由のない生活を送っているように思えました」

 ところが、一部の報道によれば、操子さんは子育ての悩みを抱えており、1か月ほど前に、母親にそのことを相談していたとも。

操子さんの夫、父親に話を聞いた

 育児ノイローゼが無理心中の原因だったのだろうか─。事件の真相を知るべく、操子さんの父親に話を聞くと、

「……何もお話しすることはありません」

 操子さんの子育ての悩みについては、

「えっ……そのことは特に聞いておりません」

 とのことだった。そこで、車で帰宅してきた操子さんの夫にも同様の質問を投げかけてみると、

「なんらかの子育てに関する悩みはあったんだろうと思います」

 と俯きながら答えてくれた。

 事件から3日が経過した6日の夕方、2人の遺体が戻った中里家では、通夜が行われていた。残された家族の苦しみは計り知れない。