東日本大震災発生時にもたゆまぬ支援

阪神・淡路大震災の避難所で膝をついて被災者を励まされた('95年1月)
阪神・淡路大震災の避難所で膝をついて被災者を励まされた('95年1月)
【写真】高身長のイケメンと、アトラクションを笑顔で楽しまれた愛子さま

 '11年3月に東日本大震災が発生した際も、ご夫妻はたゆまぬ支援を続けられた。

地震発生直後、おふたりは“できるだけ早く見舞いたい”とのご意向を示されていたそうです。そのお言葉どおり、3月末から5月にかけて、7週連続で福島県や宮城県などの避難所を訪問されました。困難な状況にいる国民に対して常に心を寄せる“共感”の姿勢は、上皇ご夫妻が始められたのです」(前出・皇室ジャーナリスト、以下同)

 こうした平成流の交流は、雅子さまにも継承されている。

「阪神・淡路大震災発生後、両陛下は海外訪問の日程を途中で切り上げて帰国し、2か月連続で被災地を見舞われました。雅子さま美智子さまと同じように膝をついて被災者にお言葉をかけられました」

 その姿勢は皇后になられた今でも変わらない。

'23年6月、岩手県にある復興のシンボル『キャッセン大船渡』を訪問された両陛下
'23年6月、岩手県にある復興のシンボル『キャッセン大船渡』を訪問された両陛下

「昨年6月に開かれた『全国植樹祭』へのご出席のため、両陛下は岩手県を訪問されました。1泊2日という短い日程の中、東日本大震災からの復興の象徴となった陸前高田市にある『奇跡の一本松』をご視察。さらに、復興のシンボルとして整備された商業施設『キャッセン大船渡』も訪問され、雅子さまは、そこで働く被災者たちに、終始穏やかな表情で激励のお声がけを行われていました」

 皇后となり、“美智子さま流”を受け継ぐ雅子さまだが、

「かつて、おふたりの間には確執があると噂されていました。そのきっかけとなったのは、雅子さまのお世継ぎを巡る問題だといわれています。雅子さまはなかなか子宝に恵まれず、不妊治療や流産を経て、ようやく愛子さまご誕生に至りました。

 しかし、その後も男子のお世継ぎを求める強いプレッシャーは収まらず、雅子さまはご体調を崩されてしまう事態に。この一端が、美智子さまによるものではとの臆測が飛び交い、おふたりの“不仲説”が囁かれたのです」