命と向き合った結果、選んだ狩猟生活

自ら動物を狩り、捌いて食料に。捕らえた動物たちには感謝の気持ちを込めていただくという※撮影/いとうしゅんすけ
自ら動物を狩り、捌いて食料に。捕らえた動物たちには感謝の気持ちを込めていただくという※撮影/いとうしゅんすけ
【写真】自ら動物を狩り、捌いて食料にするスーさん。お手製の五右衛門風呂、バケツに便座を置いたトイレ他

 廣川家が食べているお肉は、すべてジビエ。狩猟免許を持っているスーさんが、わなを仕掛け、鹿や猪などの野生動物を捕獲。裏庭で解体、精肉にして、さまざまなレシピでおいしくいただいている。

 心臓(ハツ)は焼いてレモン塩で食べたり、みそ漬けにしたり。肺や腎臓はホルモン煮やパイに。骨はだしやスープストックに。あばら骨についた立派なバラ肉はベーコンに。最高においしくて大のごちそうである肝臓(レバー)と横隔膜(ハラミ)は煮たり炒め物にしたり。

 今でこそ肉も魚も食べるが、神奈川にいたときは夫婦そろってベジタリアンだった。しかし、狩猟文化が根づくこの集落で、野生動物の命と向き合ううちに考えが変化。移住して2年目に、スーさんは、わな猟の狩猟免許を取得した。

「そろそろ食べる肉がなくなってきたなぁと思ったころ、どうぞおいしい私を食べてくださいと言わんばかりに、猪がわなに掛かってくれる。だから、必要以上に捕ることは決してしない」

 とあゆみん。ストックがたまったり、大きなものが捕れたりしたら、友達におすそ分けしたり、物々交換したり。

「山の恵みはお金に換えてはいけないと考えているから。本当に私たちの生きる糧になってくれている」

 動物の命をいただくことに2人とも葛藤がないわけではない。スーさんは言う。

「初めて鶏を絞めたとき、ものすごい抵抗があった。それはとてもはっきりした命だったから」

 狩猟を始めたころには、つらくて泣いたことも。

「わなに掛かった鹿は、おびえた目をしてこちらを見るので、自分がすごく動揺する。わな猟では止め刺しといわれる、剣ナタでとどめを刺す行為があって、最初のうちは厳しかった。今はなるべく楽に死なせるためにはどうすればいいかを一番に考えてる。それ以外の余計なことは意識せず、声も上げず淡々と止め刺しをしている」

 あゆみんも、

「私も、止め刺しのとき、かわいそう、ごめんね……と、ぼんやりとした弱い気持ちになるのは無責任、失礼だと思うようになった」

 なぜなら、猪や鹿のほうこそ「わなに掛かってヤバいな、大失敗したな」と悲しくて悔しい思いをしているに違いないから。

「それなのに、わなを仕掛けた私たちが中途半端な情けをかけることに、違和感を覚えるの。猪や鹿からは、おまえたち、おいしく食べてくれよ、しっかり生きろよ、ちゃんと山を守れよ、と言われている気がして仕方がない。何ができるかわからないけれど、必ず恩返しをするからね、といつも心の中で叫んでいるよ」

 スーさんが仕掛けたわなで、猪や鹿の運命が変わる。そうして受け取った命は感謝して手を合わせておいしく食べ、自分たちの中に生かし、つないでいくしかないのだという。あゆみんは続ける。

「命って、ほかの誰かの責任じゃないし、私のものでもない。狩猟生活でたくさんの命を奪って生きて初めて、私も大きな輪の中にいることを実感したの。汚した水は、やがて自分の血になって返ってくる。土も、空気も。目先の情報や流行に夢中になって、すっかり忘れていた根本というか当たり前を思い出してみれば、きっと何かが変わってくると思うな。本当に必要なものは、ここにちゃんとそろっているよ」

 命と向き合うようになり、命を食べるようになって、植物にも命が宿っていると気づいたと、あゆみんは話す。

「動物の命ほどはっきりと見たり感じたりはできないけれど、野菜にだって確かに命が宿っている。だから、野菜を食べることは野菜の命を奪うこと。山の猪と畑の大根との間に、命の区別はないでしょ」

 ベジタリアンだったとき、そんなふうに考えたことはなかった。

「動物でも野菜でも、私たちの身体は、数えきれない命のおかげで生きていけている。たくさんの命との有機的なつながりや、すべての自然の恵みに感謝することを忘れずに生きていきたいと思ってるよ」