実は、日本の司法もアフリカと似ている部分があるという。
裁判所のイメージも国によって異なる
「日本は明治時代にドイツやフランスなど西洋型の法律の仕組みを取り入れて、今の憲法はアメリカの影響を受けています。西洋式の法律の概念はすごく個人主義的で、そこには収まらない考え方が日本にはあると思っています。
いい意味でも悪い意味でも社会の安定を大事にするため、一人ひとりの声がかき消されるといった面があるのです。アフリカも個人の概念より、民族やコミュニティー、地域社会をどうやってこれからも長く続けていくかというようなことにすごく価値が置かれていて、日本と似ている部分を感じます」
アフリカ南部のマラウイでは青空裁判が行われていたのも印象的だった。
「あずまやのようなスペースの中で、周りは子どもたちが駆け回っていて騒がしい中、窃盗事件の裁判が行われていたのです。日本の法廷では私語禁止でシーンとしていますし、傍聴する人にも厳格なルールが定められているので、裁判所のイメージも国によって異なりますよね」
一方、アフリカでは裁判官も、長老や首長も男性が多いため、例えば女性の性被害が申告しづらいという状況もある。そんな中で、女性の裁判官も増えてきた。
「ケニアの最高裁裁判官にもなったレイディ・ジャスティスは、まだ女性議員が少なかった時代に、性犯罪法の成立と育休制度の確立に尽力した国会議員でした。ケニアでは2003年まで、香水やコスメと同じぜいたく品とみなされて、生理用品に税金が課されていました。
そのため、生理用品を買う経済的余裕のない女子学生が生理の期間中に学校に行けず、ドロップアウトすることが社会問題になっていたのです。その税金の廃止に向けて動いたのが彼女でした。
議員としても裁判官としても『女性だからこうしなければいけない』とわきまえないで仕事をすることで、女性裁判官という肩書から『女性』が外れ、『裁判官』になっていったのだと思います」
南米でも裁判を傍聴した原口さん。ブラジルでは裁判の数がべらぼうに多く、裁判の審理がテレビで公開されているという。
「これだけ頻繁に裁判を目にすると、裁判が身近なものになり、裁判所という場所への恐怖が薄れるという面があると思います。日本はそもそも裁判所へ行ったことがない人のほうが圧倒的に多いですし、裁判所=怖いところというイメージが強いですよね。
本来は裁判と生活はつながっているのですが、日本はそこがすごく離れているように感じます。とはいえフランスのパリで裁判所に行ったときは、建物があまりに重厚すぎて、私も気後れしました」
植民地だった国では、裁判官がカツラを着用する風習が残っているケースも。
「昔、イギリスでは裁判官がカツラをかぶっていたのですが、今はほぼ廃止されたのに対し、旧イギリス植民地だったフィジーやウガンダでは、植民地時代の名残で、裁判官のカツラが権威を示すものとして残っているんです」