上京したつるのはいよいよ芸能界を目指すべく、エキストラ出演や劇団での芝居を始めた。

高校2年生のときにレッスンを受けていた先生がめちゃくちゃ怖くて。灰皿を投げて怒鳴るような方だったんです。それで頭にきて、絶対に売れてこの先生を見返したいと頑張ってました。そうしたらある日、その先生が“おまえはこんなところにいるやつじゃない”と言って事務所を紹介してくれました

フジテレビの目玉マークのついた紙袋を自作した理由

 そして'94年にテレビドラマ『青春の影』(テレビ朝日系)に端役で出演。このときに主演を務めた河相我聞と運命的な出会いを果たす。

現場では、我聞くんの目に留まるようにめちゃめちゃアピールしました。9万円もする青いカラーコンタクトを入れたり、彼がドラム好きだったのを知っていたから、スティックを用意して休憩時間にタカタカとリズムを取ってアピールしまくり。そうしたら、“ドラムやってんの?”と話しかけてくれて

 意気投合し、スタジオで一緒に練習する仲に。

同い年だったから話しやすくて、スタジオ帰りに彼の家にいつも寄ってはファミコンをして泊まることがどんどん増えて、いつの間にか僕の荷物だらけになって、同居することに(笑)

 河相には夜の付き合いも教わった。

芸能人が集まる飲み屋さんによく連れて行ってもらいました。とあるバーにはMr.Childrenのみなさんがよく来ていて。今でも彼らとは仲がいいですよ

 河相のラジオ番組に友達として呼ばれて普通におしゃべりしていたら、ディレクターから“面白いから来週からコーナーをやって”といきなり言われて人気者に。

「ラジオ局の前に出待ちが集まるようになって、我聞くんの事務所の社長さんが誘ってくれたんですが、そこに入ったらみんなイケメン俳優ばかりだから僕は埋もれちゃうと思って辞退して、今の太田プロにお世話になることになったんです。

 大阪時代からとにかくテレビに出たい一心。当時、テレビといえばフジテレビ。東京に着いたらそのまま母ちゃんを連れて局前に行きました。どうすれば中に入れるかって考えながら正門のそばで観察していると、フジテレビの目玉マークのついた紙袋を持って入っていくから、あれを持っていれば中に入れるんだと思って。

 それで紙袋とカッティングシートを東急ハンズで買って、目玉マークを作って紙袋に貼り付けて、その紙袋を持って局の正門に入っていったら警備員さんにピピー!って笛を吹いて、叱られた(笑)」