さまざまな選択肢の中から最終的にキティレコードと契約し、本名でデビュー。当時の音楽シーンでは、久保田利伸やバブルガム・ブラザーズ、AMAZONSといった錚々たる面々と交流し、デビュー前からツアーに参加するなど、刺激的な日々を送った。
最初はめちゃくちゃディスられた
本名での活動は2年ほど続いたが、当時のディレクターと音楽的な方向性で衝突。
「まったく売れなかったんで、いつもケンカばっかりでしたね」
そのディレクターが去ったことでソロ活動は一時停滞するも、才能はプロデュースの仕事で開花し始める。
そして1993年、m.c.A・Tとしての代表曲『Bomb A Head!』が誕生する。きっかけは、東映Vシネマのサウンドトラック制作だった。
「監督からオープニング曲のイメージとして某有名ミュージシャンの曲を提示されたんですが、もっとブラックミュージックっぽく作ろうと思ってできたのが『Bomb A Head!』なんです」
この曲が当時エイベックスの専務だった松浦勝人氏の耳に留まり、TRFに続く邦楽アーティストとして白羽の矢が立った。
「'93年の終わりに出るって言われて、いつジャケット写真撮るのかなって思っていたら、『もうできてるよ』って。見せてもらったら漫画風のイラストだったんですよ(笑)。僕に似ても似つかなくて、企画モノと思われるんじゃないかって」
戸惑いはあったが、この曲の大ヒットがm.c.A・Tの名を世に知らしめることになる。
「当時は韻を踏むことがダジャレに聞こえがちだった。だから僕はアクセントとグルーヴで伝えることを重視したんです。最初はめちゃくちゃディスられましたね(笑)。でも先駆者としての自覚もありました。これは主流じゃないかもしれないけど、これで売れればシーンの底上げにもなると思ったんです」
と自身のラップスタイルを振り返る。その言葉どおり、自身が切り開いたスタイルは、後のJ-POPシーンにおけるラップの普及に大きな影響を与えた。
プロデューサーとしてのm.c.A・Tを語る上で欠かせないのが、ダンスボーカルグループ・DA PUMPの存在だ。
「沖縄で僕の曲をカバーしているグループがいるとデモテープを聴かされて、プロデュースしないかと。自分の活動もしながらだから、あのころは本当に忙しかったですね」