目次
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ー 大奥はステイタス、ギャラ共にハイソな憧れの職場
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ー 大奥は「元祖・港区女子」
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ー 多数の女中を“洗脳”して愛人状態に

 今期の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』にも登場する、女の園・大奥。吉原とともに、江戸に咲いた大輪の花ともいえます。そんな、当時も今も注目の的だった「秘密の園」の深層について、小説家の増田晶文さんがナビゲート! 江戸城の「奥」にあったのは、地獄か、極楽か─。

大奥はステイタス、ギャラ共にハイソな憧れの職場

 大奥は将軍の正室(正妻、御台所)や継室(後妻)、側室(正妻ではない側妻)らが暮らす後宮。江戸城の「表」(政務、儀式の場)、「中奥」(将軍の日常生活の場)に連なる、れっきとしたお役所だった。

 大奥は将軍のプライベートライフの充実だけでなく、世継ぎを産み育てるという重要な責務を担う。御三家や御三卿、有力大名らとの交際にも深く関わっている。それだけに大奥の権力は絶大で、政治や将軍後継、幕閣人事にまで口を挟んだ。

 大奥を特徴づけたのが、将軍以外の男子は原則禁制という掟。大奥では「女中」と呼ばれる、総勢2000人もの女性が働いていた。これは吉原の遊女の数に匹敵する

 江戸時代が厳しい封建制だったのは周知のこと。でも、だからといって女性が男性に甘んじていたかというと、それは間違い。

 当時も才気煥発でキャリア志向の女性がたくさんいた。旗本に御家人、豪商や富農の娘にとって大奥はステイタス、ギャラ共にハイソな憧れの職場だった。

 大奥キャリアの頂点に立つのが御年寄。「表」の老中になぞらえ「老女」と呼びならわされ、10万石大名の格式を有する。老女は定員7人、合議で大奥を差配した。老女の基本年収は現代に換算すると約1200万円。

 ほかに衣装、化粧、光熱費などの手当が支給され、時には将軍と正室からの“ボーナス”もあり、年収総額は軽く2000万円をオーバーしていたといわれている。

 これは現在の基準からしても相当なセレブ。上昇志向の娘ばかりか、親も目の色を変え、愛娘に行儀作法や書、歌、茶、華道などを習わせていた。ただし、老女に昇進するまでは十数年を要し、一生奉公、つまり生涯独身を覚悟しなければならない。

 大奥の女性キャリアの雇用形態は2つに大別される。「直の奉公人」は幕府が直接採用し、その数は400人以上。彼女たちは「奥女中」といわれ、将軍や正室に目通りが許される上級女中の「御目見以上」と、それが叶わぬ「御目見以下」に分けられていた。