2007年は訪問を断念
今回、モンゴル訪問が実現した理由について、象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院人文学研究科の河西秀哉准教授は、次のように解説する。
「ひとつは近年、日本とモンゴルの結びつきが強まっているという点が大きいでしょう。モンゴルは1992年まで社会主義国だったこともあり、国家間の付き合いがほとんどありませんでした。
しかし、最近はモンゴル人力士が日本で活躍したり、モンゴルで日本のさまざまな制度や技術が取り入れられるなど、双方に強いつながりがあります。加えて、日本とモンゴルは先の大戦で直接戦争をしたかは微妙なライン。戦後80年という節目に訪問しても、あまり角が立ちません」
国の方針も関係していると、河西准教授は続ける。
「中国への対抗という一面も考えられます。これは両陛下が、というより国が意識していることです。中国が東アジアでの影響力を強める中、日本が中国の近隣諸国と友好を築き、中国の周囲と関係を固めることで、東アジアの主導権を握りたいと考えているのでしょう。11月に愛子さまが東南アジアのラオスを訪問されることも、そうした国の考えの一端ではないでしょうか」
さまざまな思惑や背景が渦巻く中で実現したモンゴル公式訪問。特に雅子さまは特別な思いを抱かれていたという。
「モンゴルへは2007年に、当時皇太子だった陛下が訪問されています。このとき、雅子さまも招待を受けていましたが、体調が優れず同行を断念されたのです。体調不良とはいえ、国からの招待に応えられなかったことを責任感の強い雅子さまは気になさっていたと拝察いたします。ですから今回、18年ぶりに訪問が決まり、雅子さまは気合に満ちておられたのでは」(前出・皇室担当記者、以下同)
現地での雅子さまのお振る舞いには、その覚悟がにじんでいたという。
「両陛下がモンゴル抑留者の慰霊碑を訪れた際、現地では雨が降っていました。しかし、両陛下が黙祷を終えた直後、雨が上がったのです。すると雅子さまは“雨がやんだようだけれども、もう一度、慰霊碑に一礼をしますか”と陛下に尋ねられました。
そして両陛下は慰霊碑まで引き返し、再び一礼を捧げられて……。これには、抑留者の遺族からも感激の声が寄せられました。国母としての責務をまっとうしようというお覚悟の表れではないでしょうか」
18年越しの雪辱を果たした雅子さま。帰国された今、達成感と安堵のお気持ちで満たされているのでは─。