1980年代アイドルの中で歌手、そして女優として「二刀流」を確立。唯一無二の輝きを放つ中山美穂さん。その成功の秘密は一体どこにあったのか。
「『ママはアイドル!』以降TBSのドラマを手がけ“ミポリン”の名づけ親でもある八木康夫プロデューサーをはじめ、業界内で“中山美穂と仕事がしたい”というファンがたくさんいました。
彼女自身の才能もさることながら、美穂の人柄が誰からも愛された。だから成功することができたと思っています」
山中氏には、美穂さんからもらって今も大切にしているプレゼントがある。それは、カシミアのセーター。
お小遣いの中から工面してのプレゼント
「レコードのプロモーションビデオの撮影でイタリアのベニスに行ったときのことです。
少ないお小遣いの中から工面してプレゼントしてくれたのがこのカシミアのセーター。今も大事に着ています」
山中氏が彼女の突然の死を知ったのは、亡くなった当日、昼食を終えたころ。ビッグアップル現社長から電話をもらい、動揺で言葉を失った。
12月12日。告別式が行われ東京・品川の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された美穂さんを、山中氏は現地で見送った。
とめどなく涙が流れた。
「美穂、ありがとうな、今、僕があるのは、美穂のおかげだ。こう心の中で語りかけ、天国へと旅立つ美穂を見送りました」
トップスターへと育て、自分よりも先に逝ってしまった美穂さん。
「美穂と出会わなかったら、どんな人生を歩んでいただろう」
山中氏はこの思いで胸がいっぱいになるという。そんな“恩師”を今も美穂さんは空から、あの笑顔を浮かべて見つめているに違いない─。
取材・文/島 右近