9月6日に「加冠の儀」

20歳の誕生日当日、成年式に臨んだ秋篠宮さま(1985年11月30日)写真/宮内庁提供
20歳の誕生日当日、成年式に臨んだ秋篠宮さま(1985年11月30日)写真/宮内庁提供
【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも

 宮内庁の発表によると、今回は9月6日午前に中心行事「加冠の儀」や宮中三殿での拝礼が行われる予定らしい。また、「朝見の儀」と勲章の親授は午後に行われるという。

 9月8日、悠仁さまは、三重県伊勢市にある神宮と奈良県の神武天皇陵を参拝する。10日には皇族や首相ら三権の長を招き、昼食会が行われる予定となっている。

 さらに、「空頂黒幘」などは、40年前に秋篠宮さまが使ったものを再度、利用するという報道もある。

「公的な活動についてですが、大学在学中は学業を優先させていただきながらにはなりますが、少しずつ携わっていくことになると思います。周りの方々からご助言を頂きながら、一つひとつに丁寧に取り組み、成年皇族としての自覚を持ち、皇室の一員としての役割をしっかりと果たしていきたいと思っております。(略)

 象徴天皇の存在につきましては、(中略)常に国民を思い、国民に寄り添う姿なのではないかと思います。また、皇室のあり方につきましても、天皇陛下のお考えのもと、人々の暮らしや社会の状況に目を向け続けていくことが重要であると思います。そして、出会いを大切にして、人々の幸せを願い、気持ちに寄り添い続けることが重要であると思います」

 今年3月3日、成年皇族となった悠仁さまの記者会見が行われた。記者から、成年皇族としての抱負や象徴天皇、皇室のあり方などを尋ねられ、悠仁さまはこのように答えている。

 話は遡るが、1952年11月10日、悠仁さまの祖父である上皇さま(当時、皇太子明仁親王殿下)の成年式と立太子の礼が新憲法下、初めて国の儀式として行われている。
《(略)皇太子明仁親王殿下の御成年式ならびに立太子の礼が、新憲法初の国儀として、国民の代表と各国大公使の前で執り行われる。

 この両儀は、これまでは宮中奥深く行われて特別の参列者すらその盛儀を目のあたりには観ることのできない雲の上の儀式であったが、このたびは、式の次第は古い伝統を継ぎながら、全国民挙って親しく参列する心地を持つ民主国家にふさわしい新しい形がとられることになった。

 きょうの佳き日を祝う国民は、若くり々しい皇太子のお姿に、新生日本の清く正しく伸びていく力と望みを仰ぎ見て、心晴れやかに、喜びはあふれるのである(略)》

 この日の朝日新聞は、社説「立太子の礼を慶賀して」の中で前述のように書いている。敗戦によって廃墟となったわが国は、当時、立ち上がる途上にあった。こうした中、今の上皇さまは、まさに新生日本、民主主義国家・日本の希望の星だった。

 現在の世界は戦禍が絶えることがなく、核兵器廃絶への道のりも険しいものがある。混迷や混乱が続く世の中にあって、多くの国民はどのように将来の希望を見いだしていくのだろうか。

 皇室は時代とともに変わっていくが、悠仁さまには、これからの日本の「清く正しく伸びていく力と望み」としての期待に十分、応えていただきたい。両親のみならず、姉である佳子さまもこれからの指導や助力を惜しまないだろう。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など