ドラマではみどりをクローズアップ
おさらいをすると、原作の主人公は映画で松田が演じた馬締で、辞書作りを通して人間として成長していくとともに、香具矢(宮崎)との関係も深めていく。馬締が入ってきたことで、同僚の西岡(オダギリジョー)は営業部に異動になる。みどりは映画では黒木華が演じており、途中で異動してくるあくまで脇役だ。
ドラマ(2024年にBSで初放送)では、そのみどりをクローズアップ。池田が今どきの若い女性ではありながらも、繊細な主人公を好演していて、原作のみどり以上に好感の持てる人物に造形されている。
ドラマのみどりは、SNS炎上で読者モデルを辞めることになったり、ファッション誌の同僚に仲間外れにされたり、同棲していた彼氏には家を出て行かれ、子供時代には母親に対するトラウマも抱えていたりと、悩み多き女性だ(ちょっと盛り込みすぎという気もするが…)。
だが前向きに乗り越えようとしているところは、この枠の前作『しあわせは食べて寝て待て』の主人公と共通で、そうした女性を主人公にしたことが成功ポイントの一つ目。民放ドラマでは復讐や不倫など刺激的な題材が多い中で、傷ついた人の心に寄り添うようなドラマを作れるのはNHKの強みで、そうした作品への潜在的需要は大きいということだろう。
ドラマでは第1話の時点で馬締と香具矢(美村里江)は既に結婚しており、西岡も既に異動している。ベテラン編集部員の荒木(岩松了)は嘱託になっており、原作や映画の後半部分から始まると言っていい。
そして、原作から10年以上経過したため、時代の変化も上手に反映しているのが二つ目のポイントだ。「愛」の語釈を「男女間」だけに限定していることにみどりが疑問を抱くエピソードや、電子版の辞書に押されて紙版が窮地に陥るエピソードは、原作または映画でも描いていたが、2024年になると一層リアルな問題になっているため、厚めに描いている。
さらに最終回ではコロナ禍が、入院した国語学者の松本(柴田恭兵)と編集部員たちとの間を隔てそうで、これは原作や映画の時点では起こることすら予想できなかった事態で、物語に厚みが増しそうだ。
加えて、第8話では映画版の主演だった松田が1シーンだけゲスト出演したり、第3話で問題になる案件が、かつて向井が朝ドラで演じた「水木しげる」だったりと、知ってる人には嬉しい仕かけも盛り込まれている。「血潮」事件が発生した頃、朝ドラの「あんぱん」でちょうど「手のひらを太陽に」が出てくるのは意図して出来ることではなく、もはや神がかっているともいえる。
こうした“令和アレンジ”を施しながら、全く違和感なくまとめられているのは、ひとえに制作陣(NHKと制作会社AX-ON)のセンスの良さといえよう。
もちろん、多くの視聴者の心に響いたのは、誰にとっても身近な“言葉”を題材にしていたことが大前提にある。特に心が疲れている時には、小さな言葉が凶器になったり癒しになったりもする。みどりが「なんて」という言葉を多用して、恋人と別れる原因になったエピソードには、身に詰まされた視聴者も多いに違いない。
『舟を編む』が扱う言葉の大切さはいつの時代にも普遍的で、今回のドラマ版では、新しい時代を取り込みながらアレンジできることも証明された。
ドラマは間もなく最終回を迎えるが、もしかしたら10年後に、今度はベテランになったみどりの下に新入部員が入ってきて、新たな『舟を編む』が作れるのでは?なんてことを早くも期待してしまうのだ。