目次
Page 1
ー ミュージカル『PEACE ON YOUR WINGS』
Page 2
ー 原子爆弾の投下という悲惨な歴史

「心に残りました」

 秋篠宮妃紀子さまと次女、佳子さまは、8月10日、広島県を私的に訪問し、「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの生涯を描いたミュージカルを広島市内で鑑賞した。

ミュージカル『PEACE ON YOUR WINGS』

広島市の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花(2025年8月11日)
広島市の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花(2025年8月11日)

 二人が見たのはアメリカ・ハワイ州の子どもたちによるミュージカル『PEACE ON YOUR WINGS』で、1945年8月6日の広島への原爆投下で、2歳で被爆し、10年後に白血病で亡くなった禎子さんが、平和への祈りなどを込めて病床で折り鶴を折り続けた姿や友人たちとの絆を描いている。

 公演後、二人は出演者たちと懇談したが、紀子さまは「意義深いことで感銘を受けました」と述べ、佳子さまは冒頭のように話したという。

 戦後80年の節目の年に広島を訪れた紀子さまと佳子さまの親子は、翌11日朝、雨が降る中、広島市の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花し、拝礼した。

 その後、二人は平和記念公園にある「原爆の子の像」を見学している。また、同じ市内にある広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」を訪問し、佳子さまは「何をされる時間が楽しいですか」と質問するなど、入所者たちと懇談した。

 紀子さまは、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の総合開会式に出席するため秋篠宮さまと一緒に、7月23日から1泊2日の日程で、広島県を訪れ、二人で原爆死没者慰霊碑に供花したばかり。佳子さまは、成年皇族になってから初めての広島訪問だという。

《佐々木禎子さんは2歳の時、爆心地から約1・6キロの楠木町(広島市西区)の自宅で被爆し、黒い雨に打たれました。爆風で飛ばされましたが、外傷もなく、元気に成長しました。スポーツが得意で、将来の夢は中学校の体育の先生。

 しかし、小学校6年で病に伏し、中学へ通うことはできませんでした。白血病の診断を受け、広島赤十字病院への入院を余儀なくされたのです。

 入院中、お見舞いとして名古屋から千羽鶴が贈られたのをきっかけに、「生きたい」という願いを込め、折り鶴を折り始めました。その願いもむなしく、体調は次第に悪化。8カ月間の入院生活の末、1955年10月25日、亜急性骨髄性白血病のため亡くなりました(略)》

 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターは、「佐々木禎子さんと原爆の子の像」の中で、このように紹介している。

《禎子さんが亡くなって3年後の1958年5月5日、平和記念公園に「原爆の子の像」が除幕されました。建立を呼び掛けたのは、禎子さんが通っていた幟町小6年竹組の同級生たちでした。(中略)

 やがて全国からたくさんの募金が送られてきました。広島市内の各学校の生徒会でつくる「広島平和をきずく児童・生徒の会」が結成され、団結の会のメンバーも加わって募金活動が進められました》

 と、平和メディアセンターの説明は続く。