大竹まことさんの言葉がヒントに
ちなみにこの作品は、大竹まことさんの言葉からヒントを得たという。
「私が尊敬している方のひとりです。ラジオのお仕事のあとにケーキをごちそうになっているとき、『次は何を書いたらいいでしょう?』と尋ねたところ、『そうだな、老人の恋だな』、『ヒモとかいいんじゃないか』と言われ、物語が立ち上がりました。大竹さんは日々、言葉を使ってお仕事をされているので、何げないひと言が心にすごく響くんです」
出世街道から外れた人事を告げられた50歳の裁判所職員・青田芙美が、小説家の妻を亡くした弁護士・竹下一人との交流を通して人生を見つめ直す『らっきょうとクロッカス』は、収録作の中で一番最初に書かれた作品だ。

「実は、担当編集者が『すばる』の編集長になりまして、ぜひ『すばる』で書きたいと思って、頼み込むような形で書かせてもらったのがこれでした。らっきょうの漬け方を友人に教わったり、裁判所勤務だった夫に裁判所の人事について聞いたりと、かなり気合を入れて書きました。収録作の中でこの作品だけ違う重さなので、単行本の担当者はどこに挟み込むかをずいぶん悩んだみたい」
季節の食材を大切にする芙美は、初夏になるとらっきょうを漬ける。そして、竹下の妻の遺作のタイトルは『クロッカス咲く』。ふたつの球根植物は、物語後半でひとつにつながる。
「クロッカスは雪解けの季節になると近所にたくさん咲く花で、見ると『春になったな』と思うんです。同時に『しぶといな』とも思っていました。この作品では、らっきょうのことは書き込むつもりでしたが、思いがけずクロッカスとの共時性が生まれました」
表題作でもある『情熱』の主人公は還暦目前の小説家・島村由多加で、その経歴は桜木さんを彷彿とさせる。「毎年ひとつでも何かに挑戦していないと、仕事がなくなるんです」という島村のセリフは、桜木さん自身の思いでもある。
「一冊ごとに何かしらの挑戦をしているつもりでいます。今でもおつきあいのある編集者というのは、それがたとえ失敗していたとしても、私が挑戦したことに気づいてくれた人たちだと思っています。だからお仕事のお声がけをいただけると、“私の挑戦に気づいてもらえたのかな”ってうれしくなるんです」
そう話す桜木さんに本作での挑戦を尋ねてみた。
「50代終わりの3年間は週刊誌連載を続けていまして、収録作はすべて連載の原稿と並行して書いたものなんです。筆の遅い私にとって、長編の執筆中に短編を書くというのは切り替えが難しいんです。でもちょっと無理をしてみようと。あの時期にふたつの短編を書くのはしんどかったですが、おかげで少し自信がつきました」