戦後80年の大きな節目の年に

香川県・直島の「ベネッセハウスミュージアム」を設計した安藤忠雄さんの案内で視察(2025年10月2日)
香川県・直島の「ベネッセハウスミュージアム」を設計した安藤忠雄さんの案内で視察(2025年10月2日)
【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも

 今年は戦後80年の大きな節目の年にあたる。9月11日に59歳の誕生日を迎えた紀子さまは前述したような文書を発表し、平和の大切さなどを訴えたが、紀子さまと佳子さまの香川県訪問は、広島以来の母娘での地方訪問となった。

 2人が、広島で鑑賞したのはアメリカ・ハワイ州の子どもたちによるミュージカル『PEACE ON YOUR WINGS』で、1945年8月6日の広島への原爆投下で、2歳で被爆し、10年後に白血病で亡くなった禎子さんが、平和への祈りなどを込めて病床で折り鶴を作り続けた姿や友人たちとの絆を描いていたものだった。

 また、広島市内にある広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」で、佳子さまは「何をされる時間が楽しいですか」と質問するなど和やかに入所者たちと懇談している。2人は、平和の願いを込めた折り紙の鳩を入所者から贈られた。感銘を受けた紀子さまは帰京後、秋篠宮さまたちにこの折り紙の鳩を見せながら「舟入むつみ園」での思い出を伝えたという。

「皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行ってきたほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」

 2016年8月、上皇さま(当時は天皇陛下)が、テレビを通じて国民に向けて発表したビデオメッセージ「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」の中で、こう述べている。さらに、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じてきました」とも語っている。

 香川県訪問中、佳子さまと紀子さまの動静は地元のテレビや新聞などで大きく取り上げられた。特に佳子さまの人気は高く、可愛らしい笑顔に物腰は穏やかで、優しい人柄が香川の人たちによく伝わってきたという。

 高松市内に勤務する60代の団体職員の男性は、

「東京から遠く離れた瀬戸内海の島々をわざわざ訪れていただき、それだけでも大変、感動しました。

 島の魅力、香川の良さをおふたりが少しでも感じ取っていただければうれしいです。私たちも佳子さまたちから大いに励まされ、元気をもらいました」

 と喜んでいた。

 多くの国民と直接触れ合い、そして寄り添い続けることは、佳子さまたちの大切な役目である。そのことを通して、佳子さまもまた、人々から元気をもらい、より大きく成長するのだと思う。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など