目次
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ー ほかの国ならもっと自由に生きられるのではないかと
Page 2
ー スタッフは「誰も止めてくれなかった(笑)」
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ー ときめいてワクワクして生きていけるんだよって伝えていきたい

 3人の子どもを育てるパワフルウーマンが、リアルな日常を語ってくれた。移住を決意した理由は? 日本とアメリカの学校の違いは?子育てだけじゃない“MINMI哲学”をひもといていくー。

ほかの国ならもっと自由に生きられるのではないかと

 現在、アメリカ・ロサンゼルスに拠点を移し、日本とLAを往復しながら音楽活動を続けているMINMI

 レゲエやヒップホップをルーツに、'02年に『The Perfect Vision』でデビューし、以降、“夏フェスの女王”と呼ばれるなど、日本の音楽シーンを精力的に盛り上げてきた。

 私生活では、'07年に長男を、'10年に次男、'12年に長女を出産。'16年の離婚後は、シングルマザーとして3人の子どもを育てながら活動してきた。アメリカに移住したのは、'19年の秋のこと。11歳、9歳、7歳の子どもを連れての人生の一大決心だった……。

きっかけは、当時、小学4年生だった長男の言葉だったんです。“これからの時代は英語が使えないと。俺は英語がペラペラになりたいんだよ。だから、できるだけ早く英語しか使えない環境に行きたい!”と、英語を勉強することにとても意欲的だったんです

 長男は、日本の学校教育が苦手だと感じており、彼女は長男の言葉からそれを敏感にキャッチしていた。

「長男は、積極的に友達の輪に飛び込めるタイプ。一方で個性が強い子で、“みんながやっているから何も考えずにやる”ということが苦手でした。例えば、単純に書くだけの漢字の練習では“とめ、はね、はらい”で必ず×にされてしまうからと、夜遅くまで、ノートに漢字を書いては消しゴムで消すということを、必死に繰り返してることもありました。

 そうやって人一倍時間をかけて努力しても学校では×にされて、先生からは“まじめに取り組まない”と誤解されたこともあったんですよ。でも反面、彼は才能もあるんです。耳がとても優れていて、映画のセリフをさらっと覚えてしまうんですよ。興味のある分野では特に、突出した才能を発揮していました

 遡れば、幼稚園のころから人と違うことをするのが好きな子どもだった。

決して頭が悪いわけではないけれど、今の日本の教育には、すごくハマりにくい子だなと感じていたんです。だから彼自身、ほかの国ならもっと自由に生きられるのではないかと思ったんです