家族への申し訳なさからふたりで死のうと思った夜

 ある夜、疲れ切った由希絵さんは、眠るゆいなさんの顔に枕をのせそうになった。

「ゆいなにかかりっきりで、上の娘をかまってあげられない。子どもにも夫にも、笑顔で接することができなくなっていました。それが本当につらかった。でも、枕をゆいなの顔に持っていったとき、姉妹で手をつないで寝ているのが見えて。その瞬間、なんとか思いとどまれました」

 月3回の療育に親子で通い始めて約半年。ゆいなさんは、繰り返す練習に意味があることを、少しずつ理解しはじめた。泣くことが減り、指示されたことに取り組めるように。由希絵さんも「一つひとつ練習すれば、できるようになるかもしれない」と、希望を持てるようになった。

“当たり前のことを、当たり前にできるように”。

「座る」「着替える」「ゴミを捨てる」など、日常の一つひとつを、何か月もかけて少しずつ覚えていく。それは、由希絵さんにとっても、とてつもなく根気のいることだった。けれど、もう途中であきらめはしなかった。ゆいなさんができるようになるまで、ふたりで何回も何回も練習を繰り返した。

「スタートしたら、絶対にゴールまで。例えば“ゴミを捨てる”を覚えさせるときは、お菓子を渡すところがスタートです。食べて、お菓子の包みのゴミを捨てるところがゴール。ゴミを手に持たせて、ゴミ箱の前まで行かせます。泣いても、わめいても、どこかへ走っていこうとしても、繰り返します。

 ゆいなには“例外”や“特別”が通用しません。『今日はいいか』と途中であきらめてしまえば、ゆいなにとって『やらなくてもいいこと』になってしまうんです」

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 そうして、ゆいなさんは、ひとつ、またひとつと、できることを増やしていった。保育園に通い、目標だった小学校の支援級にも入学。

 そして何よりも“言葉を発することはないだろう”と診断されていたゆいなさんが、年中のころには単語を発するようになったのだ。

「食べたいお菓子が届かない場所にあるなど、家の中に少し困った状況を、あえてつくっておいたんです」

 そうして困ったゆいなさんが初めて発したのが、“取って”という言葉だった。

 小学4年生のころには、家族以外にも言葉が通じるように。ゆいなさんの世界が少しずつ広がっていった。先生と細かく連携をとり、運動会や修学旅行などの行事も、どんなことをやるのか、どんなものを食べるのかを想定し、家で練習を重ねて参加をかなえてきた。