2人は表立って打ち解けることなく、'16年に永さんは肺炎で死去。その葬儀で久米さんは別れの言葉を述べることになったが─。

闘病中にもかかわらず、わざわざ手紙で返信

久米さんは“永さんの具合が悪いのは知っていたが、あの目で睨まれると怖いのでお見舞いに行きませんでした”とスピーチしたんです。でも、最後は震えた声で“ありがとうございました”と深いお辞儀をされました。言葉の裏にある、久米さんの父に対する想いの深さを感じました」(麻理さん、以下同)

 以降、麻理さんは久米さんと会うことはなかったが、縁は続いた。

私の息子である岡﨑育之介は、役者の傍ら映画監督をしているんです。'24年に研ナオコさんが主演した『うぉっしゅ』という映画が完成して、息子は久米さんを試写会に招待しました。そうしたら久米さんから“試写会は行く予定にしていたが、入院してしまったため、次回作はぜひ”と、手紙が届いたそうです

'95年2月、永六輔さんとアナウンサーの長峰由紀さんのラジオ番組にゲスト出演した久米さん(永麻理さん提供)
'95年2月、永六輔さんとアナウンサーの長峰由紀さんのラジオ番組にゲスト出演した久米さん(永麻理さん提供)
【写真】久米さんのエンタメ精神に火をつけた“恩師”との貴重なショット

 麻理さんの知る限り、久米さんはまめに手紙を出すタイプの人ではなかった。

父は筆まめで、リスナーから届いたハガキに直筆で返信していました。私の想像でしかありませんが、父の孫宛てだから久米さんは闘病中にもかかわらず、わざわざ手紙で返してくれたのかなと思いました。

 今では確かめようもありませんが、もし久米さんに“放送人の矜持”として父の考えが宿っていたのだとしたら、娘として光栄としか言いようがありません

 久米さんが届けた言葉は、これからも響き続ける。