宝泉薫さんによる『週刊女性』の名物連載「人生アゲサゲ分かれ道」。今、ニュースな古舘伊知郎さんを取り上げます!
『ゴゴスマ』は長年頑張ってきたご褒美
フリーアナウンサーの久米宏さんが亡くなり、同じくフリーアナの古舘伊知郎が追悼のコメントをした。1月13日放送の『ゴゴスマ』(TBS系)でのことだ。
「僕は意図的に久米さんを嫌いになりました。かなわないんですよ、やっぱり。(略)どうしてもかなわないから、嫌いになるというエネルギーでやってきました」
2004年に久米さんの『ニュースステーション』が終わり、古舘の『報道ステーション』(共にテレビ朝日系)がスタートしたことをめぐる告白だ。
ただ、古舘は1987年にも、久米さんがやっていたトーク番組『おしゃれ』の流れをくむ『オシャレ30・30』(共に日本テレビ系)を任されている。つまり、この告白はもっぱらニュース番組でのあのスタイルは難しい、実際、難しかったという意味だ。
「あのスタイル」とは、反権力的な姿勢で政治家を煽(あお)り、庶民感覚で意見することで視聴者の溜飲(りゅういん)を下げさせるというもの。
筆者はニュース番組について、なるべく中立的に事実を伝えるべきで、キャスターの意見など邪魔だと考えているが『Nステ』は人気を博し、新たなかたちを流行させた。その結果、数年前の選挙特番で太田光(爆笑問題)が暴走したようなことも起きたわけだ。
それでも久米さんには大物相手でも動じない胆力があり、その洗練された外見も相まって、自分を善玉の側に見せる才能に恵まれていた。
残念ながら、古舘にはそれがない。どこか軽くて、ちょっとおどおどして見えたり、なんとなく小物っぽいのだ。
そんな「小物」ぶりがよくわかるのが、松任谷由実とのエピソードである。
同世代で学校も同じ「立教」系だったふたりは、古舘の結婚披露宴にユーミンが来て歌を歌うほどの関係だったが、'92年『MJ』(フジテレビ系)の初回でそれが一転。
松任谷由実になってからのマーケティング重視の創作手法について、古舘が《心の中に電通を入れることなんてない》《荒井由実の無名の時代に戻るべきだ》などと本人不在のなか批判したのがきっかけだった。それ以来「音信不通」となり、病院で一度ハチ合わせしただけだという。
古舘は自分の動画チャンネルでこの話をしていて、こうなった原因は《ウケ狙いのいやらしさ》《器のちっちゃさ》などと自虐している。だが、ハチ合わせのくだりなど、ネタとして面白く語ることで悦に入っているふしもあり、その屈折がちょっと情けない。
古舘とて'94年から3年連続で『NHK紅白歌合戦』の司会を務めたほどの人なのだから、もっと自然に堂々としていればよいのにと感じてしまうのだ。
そんなところが、久米さんのようにはできなかったゆえんだろう。
そういえば「引き継ぎ」が得意な人もいて、今田耕司がそうだ。島田紳助さんが電撃的に引退したあと、その番組をいくつも継承してみせた。前任者のまねをせず、自分のできることを淡々とやるところが向いているのだと思う。
古舘はもともと、プロレスやF1での奇抜な実況で支持された人だから、自然体が苦手なのかもしれない。
ただ、久米さんの死により、その呪縛からは解放された。もはや、過剰に期待されることもないだろう。
週イチで出演する『ゴゴスマ』では、年末に日没の映像に合わせて実況することが恒例化している。話術の名人として遇されているわけで、長年頑張ってきたご褒美みたいなものだ。
まずまず幸福な老後、といえる。
ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。











