「おはようございます。今日はよろしくお願いします!」
取材当日、はじけるような笑顔で現れた、“みっちょん”こと芳本美代子。いるだけでその場が華やぐような天性の明るさは、あのころと少しも変わらない。
アイドル黄金時代にデビューの芳本美代子
アイドル黄金時代の1985年にデビュー。同期の「'85年組」には、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯、中山美穂さんなどそうそうたるメンバーが顔をそろえる。中でも芳本はずば抜けた歌唱力を持ちながら、親しみやすいひょうきんなキャラクターで人気を博した。
「あと3年で60歳。自分でも信じられないです(笑)。ここまで40年、なんとかコツコツ続けてこられたことに感謝ですね」(芳本、以下同)
近年、昭和レトロブームや、シティ・ポップの再評価により、'80年代の日本のアイドルたちに世界から注目が集まっている。芳本も、デビュー40周年を迎えた昨年にサブスクを解禁。作詞を松本隆さん、作曲を筒美京平さんが担当した名曲『青い靴』、『オーロラの少女』(共に'86年発売)などを中心に、再生数を伸ばし続けている。
「すごい先生方に作っていただいたのに、あのころは緊張感もなく(笑)。当時は15、16歳で、毎日精いっぱいでしたから」
山口県出身の芳本は、歌が大好きな両親に育てられた。母親のすすめで、幼少期から地域のカラオケ大会やのど自慢に参加。その流れで、中学2年生のときに出場した九州朝日放送主催の歌のコンテストが大きな転機となる。歌唱力が認められ、レコード会社からスカウトされたのだ。
「中学校卒業のタイミングでデビューが決まり、15歳で単身上京することになりました。寂しさよりも、原宿で買い物できるほうがうれしくて」
事務所の専務宅で3か月の居候生活を送ったのちに、一人暮らしが始まった。テレビ出演や海外でのグラビア撮影、新曲のプロモーション活動に大忙しで、レッスンの合間に学校に行く日々。娘を心配し、母は毎月上京してくれた。
「同期で高校も同じ佐野量子ちゃんとはすぐに仲良くなりました。量子ちゃんは私と違って寂しがり屋だったので、よく泊まりっこして、夜遅くまでおしゃべりしてましたね」
年頃の女の子ふたりが話すことといえば、やはり憧れの男の子のことも多かったはず。令和の今、芸能人も一般人もSNSのDM機能で簡単につながることができるが、あの時代はどうしていたのか。
「マネージャーさんの目が光るなか、お目当ての人の楽屋を訪れるなんて到底無理。だからどうしても連絡を取りたいなら、電話番号を書いた紙を歌番組のひな壇で直接渡すしか方法はないんです。
大胆すぎてびっくりだけど、やった人もいるみたい。残念ながら私には、そんな青春はありませんでしたけどね(笑)」
意外にも芳本は、たった6年でアイドル歌手としての活動を終えている。そのきっかけが、'90年に出演したミュージカル『阿国』。初代阿国を蹴落とす「お丹」役が高く評価され、初舞台ながらゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞した。木の実ナナ、上条恒彦さんなどベテラン俳優に囲まれ、緊張の毎日だったという。
「初めての芝居で下手なのは当然だから、演出家の方の言うとおりに、とにかく必死で頑張るしかない。池畑慎之介さん演じる公家さんに恋する娘役だったんですが、池畑さんは右も左もわからない私を本当に可愛がってくれて。ありがたかったですね」
21歳の若さで、アイドルから脱却。それ以来、女優として堅実にキャリアを積み重ねてきた。読者世代では、『ママまっしぐら!』(TBS系/'00年)の主人公・彩華役を懐かしく思い出す人が多いだろう。同作は昼の帯ドラマ「愛の劇場」枠で大人気となり、パート3まで制作された。
「パート1とパート2の間に長女を出産し、出産後2か月足らずで復帰しました。両親の手を借りながら育児をして、無我夢中でしたね」





















