「進学資金」捻出のためだった
事実、所属事務所であるボンド企画の高杉敬二社長は、彼女の復帰作として『ハンパしちゃってごめん』の実写ドラマ化をTBSに提案する。しかし、TBSがそのプランを呑むことはなく『転向少女Y』(TBS系)なるドラマが'84年の秋クールより始まった。すなわち「ニャンニャン事件」は「炎上商法」の嚆矢でもあった。
その後、高部は芸能界に復帰、ドラマや舞台の端役を中心に活動するなど、地道に女優の道を進むかに見えたが22歳のとき結婚。2児をもうけるも離婚し、別の男性と再婚するも再び離婚する。
1999年にヘアヌード写真集を発売。「性器ピアス」が話題を集め、誰もが「女優復帰」と思ったが、意外にも芸能界を引退してしまう。
翌年、慶応大学文学部(通信教育課程)に入学し、修了後は東京福祉大学(精神保健福祉士養成コース)を経て精神保健福祉士、認定心理士の資格を取得する。つまり、進学資金と当座の生活費を捻出するために写真集を刊行したことがわかる。現在は依存症患者を対象としたカウンセリングに多忙な日々を送っている。才能ある人間は何をやらせても結果を出すものだ。
拙稿がそうであるように、昭和を回想する特集において「ニャンニャン事件」が取り上げられる機会は少なくない。その多くが「あの事件が起きなければ」といった文脈で伝えるが、筆者はさして関心がない。遅かれ早かれ似たような展開を迎えていたと想像するからだ。
それより一番の岐路となったのは最初の結婚だったのではないか。ここで女優を続けていたら、58歳となった現在「ポスト大竹しのぶ」どころか、往年の杉村春子の系譜に列なる大女優になった気がしないでもない。それを思うと惜しくもあるが、どの時代においてもいかなる職種においても、天才とは気まぐれなものだから、こればかりは手の打ちようがない。
取材・文/細田昌志

















