「高校だけは」と言う父親を泣き落として

 音楽学校受験を視野に、まずバレエ教室を替えた。3駅先にある地元では比較的大きな教室で、コンクールを目指す同世代の子どもたちが通っていた。レッスンは週5回。同時に地元の少年少女合唱団に入り、歌唱を磨く。放課後は毎日レッスンで忙しく、中学時代は当然帰宅部だ。

「背が高いのでバレーボール部やバスケ部に誘われもしたけど、お断りしました。宝塚のことは親友にしか言っていなかったので、みんな“三澤さん(本名)は何をやっているんだろう?”って思っていたでしょうね

 週5回のレッスンでバレエのスキルは上がったが、周りはコンクールを目指す子ばかり。将来の方向性がまったく違い、話も合わない。

「宝塚に近づけている気が全然しなくて」

 音楽学校受験校の存在を知り、東京にある稽古場の門を叩く。そこで初めてジャズダンスを習い、同じ夢を抱く仲間もできた。受験までの2年間、充実した日々を送っている。

 家族の協力もあった。埼玉の実家から東京の稽古場までは片道2時間の距離。学校の授業が終わると同時に稽古に駆けつけ、夜7時から9時までレッスンを受けると帰宅は11時を回る。地元の駅から自宅までは自転車で20分の距離だ。

「田舎なので道が暗いんです。そこで、兄たちが助けになってくれて。駅に着いたら家に電話して、家と駅から同時に自転車で出発して、途中で兄と落ち合っては一緒に帰っていました

宝塚の舞台を夢見てバレエの稽古に没頭していたころの湖月わたる
宝塚の舞台を夢見てバレエの稽古に没頭していたころの湖月わたる
【写真】元宝塚男役トップスター湖月わたる、入団前の貴重な幼少期ショット

 音楽学校の受験のチャンスは、中学卒業時の15歳から高校卒業時の18歳まで計4回。父に「高校だけは行くように」と言われたが、「待てない」と泣き落とし、中学卒業時に受験している。

「その代わり、もし音楽学校に受かったら、通信で高校卒業の資格を取る。そう父と約束しました」

 宝塚音楽学校は受験倍率の高さで知られ、限られた未来のタカラジェンヌ候補生だけが入学を許される。全国から集まってくる受験生たちは、みなキラキラして見えた。制服姿の湖月の隣には、上等なワンピース姿で面接に挑む生徒がいる。

「難関なんだと感じました」

 第1次試験は面接、第2次試験は面接と歌唱、舞踊。第3次の面接を経て、最終的に合格者が決まる。

 湖月は同じ受験校の友人と共に受験している。

「2人とも1次試験に受かって、一緒に2次試験に進みました。合格発表を手をつないで見に行きました」

 合格者が張り出され、まず湖月が通過。しかし、友人の名前は見当たらない。

そのとき、つないでいた彼女の手が、すっと抜けたんです。そのまま慌ただしく2次通過者が招集され、講堂へ向かいました。振り向けませんでした」

 友人は湖月の2歳上で、その後音楽学校を受験することはなかったという。

「彼女の手がすっと抜けたときの、あの感覚が今も残っていて。音楽学校や宝塚歌劇団時代も、壁に突き当たるとあのときのことを思い出しました。彼女のような思いをした人がたくさんいる。だからこんなところで落ち込んでいる場合じゃないと。あの手の感覚にいっぱい助けてもらいました」