65年ぶりに創設された宙組への組替え
湖月が頭角を現したのは、入団3年目。ニューヨーク公演に向け、振付家のリンダ・ヘイバーマンによりオーディションが実施され、メンバーに選ばれた。退団したての大浦みずきさんを筆頭にしたダンス公演だ。
「メンバーに入れてすごくうれしくて。でも、リンダさんの振り付けが踊れないんです。周りを見ると、バレエの基礎がしっかりしている子はポンポン使われている。主演の大浦さんも、必ず舞台が始まる前にバーレッスンをされている。自分の足りなさを痛感させられました。もっとダンスと真摯に向き合わなければと」
より一層ダンスに磨きをかけるようになる。恩師の尚先生がこう証言する。
「千秋楽が終わると、翌日劇団のレッスンがあっても、今日くらいはとお休みする子が多い。でも湖月は出てくるんです。トップになってからもそう。取材が入って時間がなくても、たった1時間でもと言ってレッスンに出ていましたね」
'94年『若き日の唄は忘れじ』で新人公演初主演、'97年『夜明けの天使たち』で本公演初主演し、着実にステップアップを重ねていく。
宝塚は星組、花組、月組、雪組とそれぞれ組に分かれ、湖月は星組の配属だった。そんななか、'98年1月1日、5番目の組として宙組が誕生。湖月は創設メンバーとして、星組から宙組へ異動する。いわゆる組替えだ。新たな組ができるのは65年ぶりで、立ち上げメンバーの背負うものは大きい。
「トップの姿月あさとさんが、いちばん踊り、いちばん声を出して歌っていて。みんな、姿月さんについていこうと背中を追いかけました。宙組はみんなでつくるんだと、心はひとつでしたね。私にとって宙組は青春でした」
2000年、組に属さない「専科」に異動。専科としての初主演は雪組公演の『月夜歌聲』で、組の枠を超え舞台に立った。
「専科は、属していない組の中にポンと入って、作品をつくらなければいけない。すごくドキドキしていたんですけど、雪組のみなさんが本当に温かくて。みんなと一緒に夢中で稽古をする中で、宝塚って、組は違っても、結局目指すものは一緒なんだと感じました」
専科時代に出演した月組公演『大海賊』では、月組トップスター・紫吹淳のライバル役を演じている。そこでひとつの気づきを得た。
「演出の三木章雄先生に、“もっとわたるの色を出していいんだよ”と言われて。“新しい風を吹かせてほしくてわたるを呼んでいるのだから、月組のやり方に染まらなくていい”と。あぁ、そういうことかと思い、またそこから取り組み方が変わりました。わたるさんが来てくれなければできなかった、そう思ってもらわなかったら出る意味がない。悪役はどこまでも悪く、三枚目は思い切り三枚目にと、徹していきました」
今も語り草になっているのが、月組のレビュー公演『With a Song in my Heart』。チャイナ・ドールに扮した紫吹を、チャイナ・マフィア役の湖月がぐるりとリフトで回し、宝塚の歴史に残る名シーンとなった。
「自分にしかできない男役像って何だろうって、それまでずっと考えていて。この身長を生かした包容力や男らしさだと、そこを追求していくようになりました」
トップ就任は'03年。いよいよ文字どおり宝塚の頂点に立つ。しかし、栄光の男役トップ就任も、手放しでは喜べなかったようだ。
「トップのお話をいただいたときは、もう本当にうれしかったです。でも同時に、引退までのカウントダウンを考えなければいけない。ついにその時が来たなと思ったのを覚えています」



















