ホームシックになる暇もない音楽学校時代

 宝塚音楽学校へ入学。倍率は19.1倍だった。

 15歳で親元を離れ、寮に入った。宝塚音楽学校はその厳しさで知られるが。

厳しかったと思います。でもあの経験は本当にありがたかった。自分という人間の土台になっています」

 宝塚音楽学校は、予科1年間と本科1年間の計2年間。予科の日々はまず掃除から始まる。掃除場所は各自決められ、湖月は玄関掃除をあてがわれた。授業が始まる前、一時間半かけ徹底的に磨き上げる。

「1年間同じ場所をひたすら掃除しました。それを続けると、自分の担当への責任と愛着が生まれるんです」

 宝塚音楽学校の精神を象徴するエピソードだ。

 授業は朝9時から始まり、バレエにモダンダンス、演技、歌と、夕方6時まで舞台人の基礎を学ぶ。ホームシックになる暇もない。

「もう夢中でした。でも、夏休みに初めて地元に帰ったとき、駅に迎えに来てくれた母の顔を見た瞬間、その場でわーって泣いちゃって。自分でも気づいてなかったけど、頑張っていたんでしょうね」

今振り返っても、厳しかったと思うという宝塚音楽学校へ入学したころの湖月わたる。歌劇団入団時の成績は学年で6番目だった
今振り返っても、厳しかったと思うという宝塚音楽学校へ入学したころの湖月わたる。歌劇団入団時の成績は学年で6番目だった
【写真】元宝塚男役トップスター湖月わたる、入団前の貴重な幼少期ショット

 素顔の湖月をよく知るのが、同期の元男役・大夏しづきさん。同じ寮で暮らし、同じ教室で学んだ。当時をこう振り返る。

彼女は優等生でした。努力家だった。わからないところがあると、授業が終わった後に先生に聞きに行ったり。努力をきちんとしていた。歌劇団時代もそう。もともとできる人ではあったけど、自分でちゃんと道を見据えていました

 湖月は音楽学校時代、授業以外に自らダンスレッスンに通っている。それも努力家といわれるゆえんだろう。湖月が恩師と仰ぐのが、宝塚OGで振付家・ダンス教師の尚すみれ先生だ。

「彼女が本科のとき、“先生のレッスンを習いたいです”と言って、私の稽古場に来たんです。当時の稽古場は宝塚からかなり遠かったけれど、ほかにどこも行くところはないの?というくらい、時間がある限りお稽古に来ていましたね。音楽学校の生徒には3歳からバレエをやってきた子もいるけれど、彼女はそうではない。“私はお稽古しないとダメなんです”と言って。まじめで誠実で絶対に諦めない。日々の努力がすごかった」(尚先生)

 2年目の本科に進むと、タカラジェンヌとなる日はもうすぐだ。授業で宝塚の舞台を見に行ったときのこと。

「1年先輩の知っている方々が舞台に立っているのを目の当たりにしたとき、私たち、来年あそこに行けるんだって実感がわいてきて。感動したのを覚えています」

 宝塚音楽学校を卒業し、第75期生として宝塚歌劇団に入団。晴れてタカラジェンヌの仲間入りを果たす。

 初舞台は入団年の1989年、星組公演『春の踊り』。幕開き、ピンクの着物を纏い、桜の花枝を持って大ぜりの上に立った。暗闇の中、静かに幕が上がっていく。

「そこでライトがパンッてつくと、お客様がわーっと拍手をされて。持っている花枝を落としそうなくらい痺れました。これが宝塚なんだ、宝塚の舞台に立ってるんだって。あれは忘れられないですね」