皇室典範改正で、愛子さまや佳子さまたち内親王の今後は…

 7月23日は、1961年に35歳の若さで亡くなった東久邇(ひがしくに)成子(しげこ)さんの65回目の命日だった。成子さんは、昭和天皇と香淳皇后ご夫妻の長女として生まれている。上皇さまの姉で、秋篠宮さまの伯母にあたる。称号は照宮(てるのみや)で、戦前、東久邇宮盛厚(もりひろ)王と結婚し、戦後の混乱期をたくましく生き抜き、3男2女を育て上げた。

 愛子さまや佳子さまのように、成子さんは国民からの人気がとても高かった。

《三度の食事も配給もので、大体まかなうのだけれど、パンや粉ばかりの時があったり。お芋が何日もつづいたり、時にはトウモロコシ粉やコウリャンだったりすると、どんな風にしたらよいか、なかなか、頭を悩まされる。大人はまだしも、育ちざかりの子供たちのために、栄養がかたよらないように、そして、おいしく頂けるようにいろいろ工夫しなければならないのだが、そんなわけで、いつの間にか、お粉の料理は私の自慢料理の一つになってしまった》
《私の生活もまた、さまざまなもやにさえぎられて、今もまだ幾多の困難を乗り越えなければならないが、これは私たちだけではない、日本中みんな苦しいのだから、この苦しさに耐えてゆけば、きっと道は開けると思う》

 この文章は、成子さんが戦後の間もないころの生活の様子を赤裸々に記述した「やりくりの記」の一節である。'49年10月、現在の「暮しの手帖」に掲載されて大きな反響を呼んだ。

 内親王として生まれた成子さんは、戦後は一変して一般国民となり、食糧に事欠く耐乏生活を強いられることになる。まさに、時代の急激な流れに翻弄された半生だった。
今回の皇室典範改正で、愛子さまや佳子さまたち内親王もまた、時代の変化に悩まされることとなった。しかし、現代の内親王たちもまた、成子さんのように、明るくたくましく、この荒波を乗り越えていくであろう。これからの二人の生きざまから目が離せない。