実業団や警察からも声がかかっていたが、長田はお笑いの道を選んだ。
「このままだと柔道以外の世界の人に出会えないかもしれない、と思いました。ケガをして柔道ができなくなったら、僕には何が残るんだろうという怖さもあった。柔道以外の自分の価値や可能性を試してみたかったんです」
ピン芸人から俳優に転身したきっかけは
高校時代から人前で笑いを取ることが好きで、大切な大会の前には先輩たちの緊張をほぐすため、柔道部の“あるあるネタ”を披露していたのもお笑いを目指したきっかけになっていたという。
大学卒業後は念願のお笑いの養成所へ進み、当初はコンビを組んだが、柔道部仕込みの熱血ぶりを発揮しすぎた。
「とにかく練習すればいいと思って、相方を寝かさず、僕も寝ずに朝から晩までネタを作っていました。とにかくやるぞ! と。そうしたら僕の圧が強すぎたらしく、ネタ見せの日に相方が来なかった(笑)」
それでもネタ見せを諦めたくなかった。とっさにピン芸人のフリをしてホワイトボードに書いた名前が「長田プリン」だった。
「当時、“ン”で終わる芸名は売れるという説があったんです。そこで突然浮かんだのが『プリン』でした。もしかしたら長田マロンになっていたかもしれません(笑)」
以降は一人で活動したが、芸人時代の約5年間を本人は「空白の時間」と振り返る。アルバイトをして、友人と遊び、ライブに出ても結果をそれほど気にしない。目標のない日々だったという。
転機は、芸人時代に参加したドラマのエキストラだった。体格を生かして刑事役などを務めるなか、キャスティング担当者から北海道テレビ(HTB)の開局50周年ドラマ『チャンネルはそのまま!』のオーディションに呼ばれた。
演技経験はなく、台本の覚え方さえわからなかった。
「前日に呼ばれて、頭がパンパンの状態でオーディションへ行きました。案の定、全然できなかったんですけど、『明日、もう一度来てほしい』と言われたんです」
結果は合格! ただし、同時に厳しい言葉もかけられた。
「『お芝居が全然できていないので、今日から勉強してください。明日から北海道へ行って』と言われました。撮影までの1週間、朝から晩まで演技を教えていただいたんですが、柔道時代に負けないくらいキツい1週間でした」
演技未経験の芸人の起用には反対の声もあったが、総監督が長田の可能性を信じてくれたという。今、まさに映画『踊る大捜査線N.E.W.メトロポリスを駆け抜けろ!』で監督を務めている本広克行氏だ。
「『柔道であれだけ頑張ったんだから、絶対になんとかできる。何かを持っている』と言ってくださったそうです。本広監督の決断がなければ、今の僕は絶対にいません。本当に恩人です」
突然つかんだ大きな役だったが、その後、仕事が順調に続いたわけではない。それでも役名のない仕事やエキストラを続けた。



















