スマホの普及も作品の品質に影響しているのを実感している。

「写真を撮るとき、昔はフィルムの時代だったから、写真家も役者も『いい写真を撮ろう』『いい顔をつくろう』と一枚一枚に魂を込めていた。今は誰もがスマホを向けて、カチャカチャ撮って、それがネットで流れる時代。ロマンや夢を持って作品作りを楽しむのは難しいでしょ」

 最近は出たいテレビ番組がなく、オファーを断ることも多いが、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)だけは別だ。

「黒柳さんは大変頭が良く、年齢的にも先輩で尊敬しています。黒柳さんから『今までのことを全部本にするんでしょ?』と聞かれたけれど、俺にはもうそんなエネルギーはない。でも黒柳さんは「(自叙伝が)もう半分以上書き上がっています』とおっしゃっていて、やっぱりすごい人だなと思いましたよ」

今の紅白はお祭り騒ぎのにぎやかし

 これまで7回出場した『NHK紅白歌合戦』にも、もう出たいとは思わないという。

「昔の『紅白』は、長年の歴史やヒットの実績をきちんと認められた歌手が出場する、誇り高く名誉ある場所でした。今は少し話題になった歌手を数合わせのように扱い、歌い手の歴史や個性を大切に育てる構えが失われてしまっている。単なるお祭り騒ぎのにぎやかしや、その他大勢と並んで手を振るような番組作りであれば出るつもりはないね。大トリをやらせてくれるなら考えるけど(笑)」

 小林は1956年に俳優デビュー。『ギターを持った渡り鳥』『銀座旋風児』シリーズなどに主演して日活のスターとなった。そんな小林についた愛称は“マイトガイ”。「ダイナマイトのような、爆発するほど強烈な男」という意味だ。

 歌手としては1958年に『女を忘れろ』でデビューし、『ダイナマイトが百五十屯』『銀座旋風児』などが大ヒット。その後、事業が失敗し、10億円以上の借金を背負うが、1975年に発売した『昔の名前で出ています』が大ヒットし、借金を返済できたという波瀾万丈な人生だ。

 小林に憧れていたというシンガー・ソングライターの大瀧詠一が作曲した『熱き心に』はミリオンセラーを記録し、代表曲のひとつになっている。