熱愛をとがめられ突然クビに

初めて自分でデザインした着物を着た千代(世田谷文学館提供)
初めて自分でデザインした着物を着た千代(世田谷文学館提供)
【写真】4度目の夫・北原武夫と帝国ホテルで挙式をあげた宇野千代

 地元・山口の女学校を卒業した千代は、尋常小学校の代用教員となる。教員仲間らと回覧誌『海鳥』を発刊するなど平和な日々を送っていたが、同僚との熱愛を校長にとがめられ、突然クビに。地元に居づらくなり、知り合いを頼りひとり京城(現・ソウル)に渡る。

 京城からもこの相手に幾度となく恋文を送るものの、すっかり恋心が覚めた相手の男からは「二度と手紙をよこすな」との冷たい返事が。おまけに「別の女性と結婚した」との知らせを聞き、千代は即座に帰国。出刃包丁を携え、男の家に向かった。当時の千代は19歳。並外れた行動力と、激しい気性を持ち合わせていたことがうかがえるエピソードだ。

 この恋が終わったあとすぐ、一度目の結婚相手の弟である藤村忠と地元で偶然に再会。親公認で交際が始まり、忠の東京帝国大学入学に伴って上京、22歳で二度目の結婚をする。翌年、忠が北海道拓殖銀行に就職したのを機にふたりで札幌へ移住することに。

「この間も千代さんは創作活動にいそしみ、『時事新報』の懸賞小説に応募。24歳で、短編小説『脂粉の顔』が初めて一等に当選します」(原さん、以下同)。

 賞金200円(現在でおよそ90万円ほど)を手にした千代。このときの感動を、
《小説とは、何と言う金の儲かるものかと考えたとは、まったく、呆れかえることであった》と、のちに自伝的小説『生きて行く私』で振り返っている。

 これに手ごたえを感じ、次いで『墓を発く』を執筆。中央公論社(当時)に送るが返事がない。採否を案じて札幌から上京して確認したところ、すでに月刊誌に掲載されていたことがわかり、原稿料366円を受け取った。

「採否の確認は、わざわざ上京せずとも札幌の書店や手紙で十分だったはず。こういう部分にも千代さんのパワフルさが表れています」