恋のスイッチが入る千代

'39年に北原武夫と帝国ホテルで挙式したときのカット(世田谷文学館提供)
'39年に北原武夫と帝国ホテルで挙式したときのカット(世田谷文学館提供)
【写真】4度目の夫・北原武夫と帝国ホテルで挙式をあげた宇野千代

 その後東京で、自分と同じ新人作家である尾崎士郎を紹介された千代。このときまたも、恋のスイッチが入ってしまった……。

《男の眼が、一種言い難い微笑を浮かべたまま、「ぼ、ぼくが、そ、その、二等賞の尾崎士郎です」と言ったときの、その、おどけたような吃りの癖まで、思いもかけない感情の隠し穴に、わたしを誘い込んだのであった。》(『生きて行く私』より)

 その後、尾崎が止宿していた菊富士ホテルで同棲を始めてしまう。札幌に帰ってこない千代を案じて上京した忠のことも意に介さず、尾崎と荏原(現在の品川区)に家まで建ててしまう。

 上京から約2年、27歳のときに忠と協議離婚が成立、尾崎と正式に結婚した。

「個人的には、尾崎さんとの関係が千代さんにもっとも大きな影響を与えたのではないかと思っています。作家の才能が大きく開花するきっかけでもありました」

自らの恋愛遍歴がベストセラーに

 尾崎と結婚したあとも、梶井基次郎など文壇の寵児たちと浮名を流す。そして33歳のとき、当時、愛人と情死未遂事件を起こして話題となっていた画家・東郷青児のもとを取材で訪れ、その日のうちに関係を持ってしまう。

《夜が更けて、さぁ寝よう、と言うときになって、「こんな蒲団しかないが」と言って、押し入れから出してきた蒲団には、血痕がこびりついて、がりがりになっていた。》(『生きて行く私』より)

 33歳で、尾崎と協議離婚。東郷とは籍を入れずに世田谷区で同居生活を送っていたが、36歳のとき、またも運命的な出会いが訪れる。文壇で存在感を高めていた千代の取材に訪れた、10歳年下の新聞記者・北原武夫に一目惚れしてしまうのだ。

《私が最初の一面識から、この北原に対して異常な印象を受けたことは、信じ難いほどであった。それからあと私は、毎日のように北原の務めている都新聞社の受付に行き、「北原さんはいらっしゃるでしょうか」と言って、呼び出しに行ったものであった。》(『生きて行く私』より)

 その後、東郷は情死未遂事件の相手女性と復縁。ひとりになった千代は東郷との日々を『色ざんげ』(中央公論社)に綴る。同書は大ベストセラーとなった。

「私生活をネタにしていると思われがちですが、そうであれば、ネタが新鮮なうちに書くはず。千代さんは毎回、恋が終わったあとに振り返る形で、脚色を交えつつ書いているのです」

 その後は北原との仲を深め、協力して日本初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。42歳で四度目の結婚をする。だが、プレイボーイだった北原には結婚当初からほかに女性がいた。25年間の結婚生活の間、千代は女性問題に悩まされ続け、最後は若い愛人に北原を託す形で別れる。それでも恨み言は一切言わず、愛人宅へ引っ越す北原の荷造りを手伝うほどだった。

「千代さんは、別れには執着しないと自著でも語っていらっしゃいます。そもそも、自分から男性に別れを告げるパターンはほとんどありませんでした」

 二度目の結婚相手である忠だけは、文学にかける思いもあり、千代が裏切った形となってしまった。しかしそれ以降、尾崎も、東郷も、北原も、男のほうから千代のもとを去っている。

「華麗な男性遍歴ばかり注目されがちですが、恋にも仕事にも、純粋な情熱を注いだのが千代さんという女性です。

 晩年は元気なおばあさんという印象でしたが、繊細な心情を描いた作品も多い。この機会に、多くの方に名作を読んでいただきたいです」

 千代は、恋に仕事に、何度もぶつかりながらも枯れずに立ち上がる自分の姿を、桜になぞらえていた。桜の花ことばは「純潔」。恋多き女の心の奥底に潜むひたむきな思いを、ドラマがどう描くか注目したい。