「事故から1か月がたつのに、捜査の進展が何も伝わってきません。何がどうなって、どういう状況で死んだのか、まったくわかりません」
萩原流行さんの妻・まゆ美さんが5月22日、会見を開き、集まった報道陣を前に悲痛な表情でこう訴えた。
事故が起きたのは、会見のちょうど1か月前、4月22日夕方のことである。東京都杉並区の青梅街道を大型バイクで走っていた萩原さんは、急に車線変更した車を避けようとして、体勢を崩して転倒。投げ出された萩原さんは後続の車にひかれて死亡した。
ただし事故当日、警察は車線変更した車が警察車両である護送車であったことを発表していない。
「最初の時点では警察車両という言葉が出てきませんでした。報道でそのことを知った後に杉並警察署の副署長から“事故には警察車両が関わっている可能性があります”という電話があり、翌日にまた別の警察関係者から連絡が入って“警察としては、萩原さんと警察車両が接触したかどうかはわからない”という説明がありました」
そのことが、まゆ美さんの不信感をつのらせることになったのだが、それ以外にも彼女が疑問に思う点がいくつかあるという。
「事故から1か月たって初めて、あのときに検視が行われていなかったことを知りましたし、司法解剖の結果も、最初の話では今週にも出るような話でしたが、あと半年はかかるという話になって、いったいどういうことなのかさっぱりわかりません」
会見に同席した弁護士が、まゆ美さんの言葉を受けて、
「死体検案書には、萩原さんの死因は不詳となっているんです。受傷から死亡までの期間も不詳となっているんです。彼はなんで死んだかわからないということ。こんな話がありますか」
と声を荒らげた。萩原さんが最初に運ばれた東京医大の医師から、まゆ美さんには死因は“心房破裂”と伝えられているにもかかわらずである。
不可解なことはまだある。
「私たちが月1回通っていた病院に警察から、萩原のカルテを全部提出しろという電話があったというんです。提出しなければ押収すると」
まるで、事故が萩原さんのうつ病による過失とでも言わんばかりだという。5月14日には、事故現場で大がかりな実況見分が行われている。
「事故の状況を再現していたんですが、まずバイクが倒れていた場所が実際とは違っていました。私はあの日、事故の報告を聞いて、西荻窪の実家から病院に向かう途中に現場を通りました。そのときは、まだバイクはそのままでしたから、倒れていた場所をはっきり覚えているんです。それと写真を何枚も撮っていましたが、事故の状況がどう見ても、バイクが車両に追突している状況を再現しているようにしか思えませんでした」
さらに弁護士も、
「そもそもあの実況見分は何の手続きだったのかわからないんです。正式な現場検証なのか、あるいは単なる写真報告書なのか、私は現場で警察の担当者に何度も聞きました。でも、はっきりしませんでした。報告書というのは内部の書類で、外部には出ないものなんです」