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ー 戦後「心のふるさと」になった宝塚

 女優・浜木綿子といえば、どんな役とシーンが思い浮かぶだろうか? 宝塚の可憐な娘役、背中で泣く夜の女役、夫に三くだり半を突きつける痛快な妻役、息子のために奮闘するおふくろ役、事件を解決に導くスゴ腕の監察医……。これまで、さまざまな役を演じてきた浜さんが“仕事”という舞台を降りてから、今は自分の人生というステージを謳歌している。そんな浜さんの暮らしぶりをご紹介する連載第5回です。

 こんにちは。浜木綿子でございます。いよいよこの連載も5回目を迎えました。これまで私の拙い「昔話」や「今の暮らし」にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

戦後「心のふるさと」になった宝塚

 最近、私はバスに乗って買い物ができるようになりましたの。一人で行けるのがうれしくてうれしくて。みなさん今、笑ってらっしゃるでしょ。でも、この年齢だと大変なんですよ。バスをゆっくり乗り降りしてヒョコタン、ヒョコタン歩いていくのも。バスは待っていると来てくれます。ところが先日、大失敗がありました。なかなか目的地に着かないので窓に目を移すと見たことのない景色……。慌てて降りてビックリです。まったくわからない場所─、迷子になったのです。

 通りかかるタクシーに手を上げても、みんな迎車。しばらく佇んでいましたら、はるか遠くに見覚えのある建物が……。そこへ向かって、まっしぐら! ……といっても足元はフラフラ、手に買い物袋を提げて、なかなか前に進まず。ここで転んでケガしたら恥ずかしいじゃないですかぁ。とにかく力の限り歩きました。母がよく口にしていた「ガンバッテ、ガンバッテ」を思い出して……。やっとの思いで、その場所へ。そこは以前、訪れたことのあるお店で、タクシーを呼んでいただき「やっとこ、さっとこ」わが家へ。

 バスは車体の色が同じでも向かう場所は違うのね。これからは行き先をシッカリ確かめて乗ります。その日の夜は足がつりっぱなしでした。

 今、世界では戦争が起きています。戦争ほど残酷なことはありません。私は戦時中、長野のお寺に縁故疎開をしておりましたが、食べ物は麦ごはんばかり。麦が足りないときは、さつまいもを混ぜてかさ増しをして。カイコのサナギを佃煮にしたり、イナゴを捕って食べたりもしました。腰に袋を提げて捕まえるんですョ。イナゴを捕ったらフンを出すまで丸一日待って。それをピリ辛に煮ていました。戦争は心身共に破壊します。お寺にきれいな八重桜が咲いても、その美しさを愛でる余裕さえありませんでした。今の平和が、どうぞ若い人たちの手で守られていきますように願わずにはいられません。

浜木綿子さんの妹が今も持っている宝塚音楽学校で使っていた教科書「楽典」
浜木綿子さんの妹が今も持っている宝塚音楽学校で使っていた教科書「楽典」

 戦争が終わってから、私の“心のふるさと”になったのが宝塚です。あの華やかな舞台の裏側で、私たちはお金が足りなくて苦しんでいました。親からもらうお金だけでは私たちのお腹は満たされない。朝から晩までお稽古でペコペコ。でも「天の助け」がありました。宝塚大劇場のお隣に「ちどり」という店があったんです。そこのお姉さんがとても優しくて、山盛りの焼きメシや野菜炒め、お好み焼きを作ってくださり、私たちのお腹は満たされていました。本当にありがたかったです。「お姉さん、ありがとうございました!!」

 宝塚は歌や踊りだけではなく、勉強も厳しかったです。音楽の技法が書かれた「楽典」という難しい教科書がありまして、一音間違えるだけで点数を引かれるんです。妹の手元に残っていましたが、今見ても本当に難しい!

 私は若いころ、お酒をよくいただきました。「ビール一杯は目薬よ!」なんて豪語したことも(笑)。でも、舞台やテレビの撮影が始まる10日くらい前からはピタッと断つのが私のルール。滑舌が悪くなるのが怖いのです。今は、たまーに目薬ぐらいのお酒をいただくのが楽しみ。

 世の中には「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」という古語があります。一人のいいかげんな言葉を大勢の人が真実だと思い込んでしまう。悲しいですが今はそんなことが非常に多い。けれど、そんなことさえ「忘却は幸せになる技術なり」と笑い飛ばして、今日もお天道さまに感謝して過ごしたい。両親には「まだ、そちらの世界には呼ばないでね」と伝えてあります。だって素敵な出会いがたくさんある今が私は大好きですから。みなさんも人生を丁寧に……ネ!! では、また。

※素敵な出会いが大好きな浜さんのエッセイは隔号に掲載中。次回は4/14(火)発売号です!