20年ぶりに釈放された青木恵子さん「一睡もできなかった」 撮影/粟野仁雄

 ‘95年、大阪市東住吉区で小6女児(当時11歳)が民家火災で焼死した事件で、無期懲役刑が確定し服役していた母親の青木恵子さん、内縁の夫だった朴龍晧さんが約20年ぶりに釈放された。

 10月26日午後2時、和歌山刑務所の門から白い車が出てきた。降り立ったのは、車中で手早く20年ぶりのお化粧をし、弁護士が持参した黄色いカーディガンにベージュのスカート姿の青木恵子さん(51)だ。

 ついに釈放された。布川事件の桜井昌司さんや支援者から花束を渡され、待ち構える報道陣の前で、「やっと当たり前の世界に戻れた」と喜んだ。そして「子どもとの時間を取り戻せない。それが悔しい」と顔をゆがめた。

 その足で大阪市東住吉区の火災現場に立ち寄り、「助けてあげられなくてごめんね」と娘に手を合わせた。

 長男(29)の仕事の都合で再会できたのは日付が変わった27日午前0時過ぎ。大阪市役所に近い土佐堀川べりだった。長男に駆け寄り、手を取って抱きしめた恵子さん。

 当時小学6年生の長女めぐみさん(当時11)が焼死したとき、弟にあたる長男はまだ8歳。引き裂かれてから20年ぶりの息子のぬくもりだ。刑務所の接見は常に透明のアクリル板越しで、わが子の身体に触れることはできなかった。

 抱きしめる母の顔はくしゃくしゃ。長男は「お帰りなさい」と声をかけ、長い抱擁の途中、遠くを見るような照れ隠しの表情もみせた。無理もない。29歳になって50歳を越えた母親と抱き合う姿をバチバチ撮られれば恥ずかしくてたまらない。

「8歳でしたから抱っこできたけど、29歳になって抱っこできない。逆に私が抱っこされる側になり、改めて離された時間を感じます」

 と、恵子さんは涙が止まらなかった。

 母子ふたりでホテルに泊まった。昼間、ユニクロで買った服と化粧品を持ち込んだ恵子さんは「一睡もできなかった」。積もる話をしたかったはずだが、長男は疲れて「バタンキュー」だったとか。

 27日正午ごろ、念願のめぐみさんの墓参り。青木家の墓は奈良県明日香村の有名な史跡『石舞台古墳』近くの山間部にある。

 大きなひまわりと娘が好きだった紅茶のペットボトルや菓子を供えた。恵子さんは黒い礼服、長男はGパン姿。恵子さんはしゃがみ込みいつまでも手を合わせていた。娘の墓参りは初めてだ。

「四十九日の法要はすませて遺骨を寺に預けたあと逮捕されたんです。あの年、ひまわりがとても流行っていました。祖父がひまわり柄の服を買ってくれたのですが1度も着られず死んでしまったんです」

 事件(正確には事故)は阪神大震災の半年後に起こった。1995年7月、大阪市東住吉区の一軒家が燃え、入浴中のめぐみさんが逃げ遅れて焼死した。

 2か月後、大阪府警は、娘にかけた1500万円の保険金目的で内縁の夫・朴龍晧さん(49)がガソリンをまいて焼き殺し、恵子さんは共謀したとする放火殺人で2人を逮捕。

 借金があったことや小6の娘に生命保険をかけていたことを利用し、「あっちはもう観念したぞ」とウソを吹き込む卑劣な取り調べで虚偽の自白に追い込んだ。

 生命保険と聞くと“殺ったのでは”と疑いがち。しかし、学資保険のようなもので、保険外交員に執拗に勧誘され、火事の3年近く前に加入している。自白以外の直接証拠はない。裁判では2人とも無罪を主張した。自白が重視されて無期懲役判決が確定した。

 ところが、弁護団の再現実験により車庫の車からガソリンが漏れて風呂釜の種火で引火した可能性が高いことが判明。大阪地裁は2012年に再審開始と2人の釈放を決定したが、検察側が即時抗告して不服を申し立てた。

 大阪高裁は10月23日、無罪の可能性が高いとして裁判やり直しを決めた。大阪高検は最高裁への特別抗告を諦めたため再審が始まる。無罪はすぐそこだ。この間、大阪は2人の釈放を祝福する青空だった。

(取材・文 ジャーナリスト・粟野仁雄)