「このホテルも大変お世話になってる方から、“1年でいいから”って言われて。当時は新幹線なんてないから、土曜日に東京から電車に乗って岩手に行き、月曜日に銀行に1週間分の儲けを預けて東京に帰ってくるという生活。でも、36歳から46歳って女としてはいちばん大切なとき。それをすべて仕事に捧げた感じですね」

 客数は400人規模で、地元では大きなホテル。そこで、社長である彼女は自ら宴会場でショーをして、レコードを売ったという。

「当時、『にごり酒』っていう歌を出していたんです。東北の方はどぶろく酒をにごり酒っていうんですが、私のポスターを見て、“にごり酒くれ!”っていうからレコードを持っていくと、“酒だ”って怒られたりして(笑)。

 初めはホテルに行くと、従業員が逃げていっちゃうんです。でも、彼らと東北の歌を一緒に歌って踊ると、徐々に仲間になっていくんですよ」

 ホテルを始めてしばらくすると、今度は警備会社も任されることに。ただ、20人ほどでスタートしたこの会社は借金も多く、“すぐつぶれる”と陰口を叩かれていたほど。それが、35年たった今は、約100人の隊員がいるまでに成長させたのだ。

「警備会社の経営に専念するため、ホテルも10年くらいで手放したんです。私、普段は化粧もしないですし、みんなと一緒になって真っ黒になって働きましたよ。でも、歌うことは続けていたんです。歌っていることによって幸せになるし、ほかの人も幸せにすることができる。そういう原点があるから、私は歌をやめられないんです」

 社内には会議室を兼ねたパーティールームが設置されている。カラオケも置かれ、防音設備も整っているという。

「その部屋で警備隊員のために毎月、誕生パーティーをしているんです。地方から来ている人が多く、歌が大好きなんです。じゃ会社にひと部屋作っちゃえって。そこで、あまり仲よくなかった隊員同士が打ち解けたりと。

 やはり歌は潤滑油なんです。私は7人きょうだいの真ん中だったんで寂しがり屋なんです。私は人に助けられて、仲間に助けられて……。だから、隊員である仲間と一緒にいることが、今はいちばん幸せなんです」