s-asa0318

 22週連続で視聴率20%超え(3月7日現在)。NHKの連続テレビ小説『あさが来た』の勢いが止まらない。大阪の両替商・加野屋に嫁いだ白岡あさ(波瑠)は炭鉱事業を成功させ、加野銀行を設立。さらに、日本で初めての女子大学の設立に奮闘している。

 あさのモデルとなった人物は広岡浅子。“九転十起”の精神で時代を切り開いた伝説の女性実業家だ。

 17歳で三井家から大阪の豪商・加島屋に嫁ぎ、明治維新で傾いた加島屋を、筑豊・潤野炭鉱の開発によって立て直し、加島銀行を設立。さらには、大同生命の創業にも参画。

 そして、日本初の女子大学『日本女子大学校』(東京都文京区目白台)の設立にも貢献している。まだ、女子の大半が小学校にすら通えなかった時代に、だ。

 『あさが来た』の原案小説(『小説 土佐堀川-広岡浅子の生涯』)を手がけた古川智映子さんはこう語る。

「この本が出版されたのは今から28年も前なんですよ。私と広岡浅子さんとの出会いは、『大日本女性人名辞書』。すごく厚くて、何千人もが掲載された本なんですが、その中にあった、たった14行の紹介文でした。

 当時は、調べても調べても資料がなかなか見つからなかった広岡浅子さんの人生を、こうして多くの人に知ってもらえることを大変うれしく思っています」

 実業家として名が知れ渡っていた浅子に運命の出会いが訪れたのは40代半ばのとき。日本で初めて、女性のための大学をつくりたいという大胆な夢を抱いた成瀬仁蔵(『あさが来た』では成澤泉/瀬戸康史)が支援を求めてきたのだ。

 “女子に学問は不要”という三井家のしきたりの中で育ち、勉学の道をあきらめざるをえなかった浅子は、成瀬が著した『女子教育』に感銘を受け涙した。

 そして浅子はすぐさま5000円(現在の約3000万円)を寄付。さらに総理大臣・伊藤博文や西園寺公望、渋沢栄一など財界の超大物に寄付を積極的に働きかけた。女子教育への偏見の嵐の中、ときに弱気になることもあった成瀬に、浅子は、

「準備にかかった資金は、一切心配しなくていい」

 そう励ましたという。さらに浅子の促しにより、実家・三井家が東京・目白の別荘地5520坪を寄付。

 5年の歳月を経て、1901年(明治34年)4月に日本初の『日本女子大学校』は誕生した。卒業を半年後に控えた1回生に浅子はこんなメッセージを告げたという。

「もしもあなた方が失敗をなさったならば、あなた方ひとりにとどまらず、学校全体の失敗となり、学校全体の失敗は、日本女子教育の失敗になり、日本女子教育の失敗は、国家の進歩発達に大関係を及ぼします。(中略)実にあなた方の責任は重大です」

 浅子の女子教育にかける熱い思い、そして女性の地位向上を願う切実な気持ちに背筋が伸びる。

「“小我(自分がしたいこと)に固執せず、真我(社会のためにやるべきこと)に生きよ”と自ら提唱し実行したパイオニア精神、死力を尽くして働き、開拓した不屈の根性は、現代女性に大きな勇気を与えてくれるものだと思います」(前出・古川さん)