いい人がいてこそ会社は伸びる

ものすごく儲かったんだけど、こんな仕事は長く続かないと思ったの。立ち食いでもやって、もっと地道にやっていこうと

 ヒントとなったのは、自らがすでに渋谷でやっていた立ち食いそばの『そば清』。

おばさんが店にいると、お客さんがガーッとやって来る。おばさんがそばを素早く作ると、お客さんがそれをバッと食べては帰るわけ。それを見て、“これは東京に合う!”と。東京は忙しい街だから

 事業の方向を定めた丹さんは、共同経営者たちとの連携を解消し、昭和41年から立ち食いそば店の経営に本格的に乗り出した。将来は立ち退くという約束で開店した西荻窪店を皮切りに、わずか1・5坪の池袋のサンシャイン通り店、さらには新宿の伊勢丹横店etc.。

 翌昭和42年には日本初となる24時間営業を開始したが、それが夜型にシフトし始めていた都会の生活にぴったりとマッチした。 

「もう(そばが)売れに売れてね。みんながいうには“どんぶりが飛んでいた”と」

 昭和47年には屋号を『そば清』から現在の『名代 富士そば』に変更した。“富士そば”の名は、東京に出て初めて見た富士山のあまりの美しさに感動した経験から取ったという。

上京して初めて見た富士山の美しさに感動して名づけた「富士そば」。過密労働が取りざたされる飲食業界にあって、異例のホワイト企業
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 以来、24時間営業とそれによる食材ロス0などで『名代 富士そば』は急成長、現在では国内に116店舗、海外に10店舗を誇る一大そばチェーンに成長を遂げる。

 平成27年には、80歳になったのをきっかけに、代表取締役職を息子の丹有樹さんに譲り、会長職に就任した。

 在社歴40年、アルバイトで入社して、今では丹会長の盟友の一人でもある相談役の川村宏さん(61歳)は、富士そば急成長の秘密を、丹会長の“人を信じて任せる姿勢”にあると語る。

人に任せるのって難しいですけれど、任されたらそれなりに働かなければならないじゃないですか。任されたら頑張るしかないし、任せなければそれ以上のことはできない。任していい人に恵まれたと言い換えることもできるかもしれません。こう言うと、自分を褒めていることになってしまうかもしれませんけど(笑)」

 また人間・丹道夫を評してこんなことを言う。

「ひょうひょうとしていますが、運の強い人だと思います。会長はほとんどギャンブルはしないですけど、社員旅行でひょんなことでパチンコしたらボロ勝ちをする。麻雀も役もわからないのに勝ってしまう。そんな運の強いところがありますね」

 息子で代表取締役社長である丹有樹さん(42歳)は、父・丹道夫をこんなふうに言う。

物事を否定された記憶がないんです。僕は大学卒業したあと会社を作って29歳までテニスのコーチをしてたんですけれど、“それもいいじゃない”って感じでしたし

 そして富士そば興隆の秘密についてはこう語る。

「僕はどちらかというとしっかり勉強してきた人間で、ロジカルに考えるほうだと思うんですけど、会長は逆で、人間の感情から考える人なんです。当社の仕組みも、会長の“人はこう考えるからこうしたほうがいいよ”っていうものの積み重ねで作られているんですが、それが非常にうまく動いている。理屈でないところで物事が見えているという感覚がありますね

【左】有樹さん「多忙にもかかわらず家族のイベントには必ずいる父親だった」。【右】川村さん「会長は切り替えの早い人」 撮影/吉岡竜紀
【左】有樹さん「多忙にもかかわらず家族のイベントには必ずいる父親だった」。【右】川村さん「会長は切り替えの早い人」 撮影/吉岡竜紀

◇  ◇  ◇

 盟友たちのこんな言葉も尻目に、丹さんは今日もひょうひょうとしたペースを崩さない。

 そして、自らの半生を評してこんなふうに言う。

「ホントに僕はよくぞここまでこれたと思うよ。才能もなにもないのに」

 そしてこう続ける。

社員こそ内部留保(企業の蓄え・財産)なのね。企業は人なり。いい社員がいなければ、会社なんて伸びない。僕はそう思うなあ

 人生のらせん階段を上り続けて会得した“人が宝”の経営。それを武器に、丹道夫は平成大不況下の日本を駆け抜ける──。

*週刊女性2017年2月7日号掲載