移住者が各地で活躍していることに励まされて

【Uターン】島根⇒岡山⇒島根/本宮理恵さん
●家族構成=子どもと両親、ご主人は中国へ単身赴任中 ●住まい=安来市の実家、家賃は5万円支払い ●移住の決め手=新卒当時、近い将来のUターンを決めていた ●きっかけ=島根県内でも仕事をいくつか経験する中で、江津市の「ビジネスコンテスト大賞」を受賞 ●最近の楽しみ=仕事を終えた瞬間と、子どもが寝た後の自分の時間 ●移住アドバイス=面白そうな新しい動きをしている人のネットワークに積極的に入ること。ロールモデルを持つこと

 島根県奥出雲町。八百万の神が集まる町はさすがに美しい。うねうねと続く中国山地。季節ごとに色づく木々。それらを見下ろす高台にある横田高校で高校魅力化コーディネーターを務める本宮理恵さんは、仕事の魅力をこう語る。

ふるさとの島根県にUターンした本宮理恵さん
ふるさとの島根県にUターンした本宮理恵さん
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当初は緊張していました。教員資格もない人間が職員室に入るんですから。でも3か月くらいで充実感を感じた。町と学校に役立っている感があるんです

 同校には7年前から「だんだんカンパニー」という制度がある。だんだんとは方言で「感謝」。総合型の学習の時間などを利用し、生徒たちは町内の農家とジャムやお米の商品を企画する。完成する秋に、修学旅行の一環として都内で町を宣伝しながら直販する。都内まで行っても、企画が悪ければ商品は売れ残る。だから生徒も大人も本気だ。

 この活動を通して高校生は大人の仕事を理解し、大変さを体験する。町を売り込みつつ故郷愛も芽生える。いまではこうした取り組みが人気となり、県外からの留学生も同校だけで10数名に増えた。

 とはいえ、この仕事と出会うまで、本宮さんの移住は一筋縄ではいかなかった。

「4年間働いた岡山から故郷に戻って最初に得た収入は3か月で5000円でした」

 と苦笑する。当初はフリーで営業企画をやろうと思ったが、これでは生活できない。商工会で働くと最初の仕事はお茶くみ。そこに疑問を感じない周囲にもがっかりだ。

 そんな折、江津市が募集している地域課題解決コンテストを知った。ダメもとで「帰って来られる島根をつくろう」というコンセプトで企画を立てて応募してみると、見事に大賞(月15万円×年間の活動費)をゲット! 本宮さんは故郷の安来市から約140キロ離れた江津市に引っ越し、都会で大学に通う若者のIUターン志向を支援するNPO『てごねっと石見』を起こして活動を展開した。

 そんななか、Iターンの男性と出会い結婚、出産。だが、人生はそううまく運ばない。

「子育てと仕事の両立が難しいんです。昼間仕事をするために実家に引っ越しましたが、夜の飲み会に付き合う機会の多い起業系の仕事には限界を感じていました」

 そのとき出会ったのが、奥出雲町の高校魅力化コーディネーターの募集だった。本宮さんはNPOの活動を通して県内の移住者や教育関係者と面識があった。面接には子連れで登校。実績を評価され、実家から車で1時間の距離を通勤することになった。

高校生が農家と一緒に商品開発をする制度「だんだんカンパニー」の起業式
高校生が農家と一緒に商品開発をする制度「だんだんカンパニー」の起業式

 この仕事を選ぶときにも悩みがなかったわけではない。

「NPOのときよりもお給料が下がるんです。でもその分9時~5時で帰れます。最近は子育てを理由に5時にいったん帰る男の先生も少なくないので働きやすいんです」

 本宮さんの働きぶりを、町の地域振興課職員の三成由美さんはこう語る。

「私もかつて名古屋からUターンしてきたひとりです。そのころは“都会から故郷に帰るのは負け組”と自他ともに思っていました。でも本宮さんのような人が増えて、島根ではそういう意識はなくなりつつあります。島根はこれからもっと面白くなります

 そのためには、ひとりひとりが自力で移住の壁を越えなければならない。田舎ではゆったり時間が流れるなんてウソ。仕事以外の地域の付き合いがあり町内会の役割もある。移住者のネットワークに入るにも、自分から探して飛び込まないと向こうからは来てくれない。仕事は用意されるものではなく自分で創るもの。都会では「ワークライフバランス」が大切と言われるが、田舎では「ライフワークミックス」の覚悟が必要だ。

 今年になって本宮さんは週に3日、高校魅力化を全国展開する『地域・教育魅力化プラットフォーム』のスタッフとして働くことになった。高校の仕事は今年から引き継ぎを視野に入れて週3日となる。

「今度は日本を変える仕事のお手伝いです」

 自分の成長と合わせて仕事も成長する。そんな生き方が島根にはある。