'03年、ラジオ日本の新ワイド番組記者発表会に登壇した若林氏(右端)。魚住りえらとともに臨んでいた
'03年、ラジオ日本の新ワイド番組記者発表会に登壇した若林氏(右端)。魚住りえらとともに臨んでいた
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「ご自身では公言していませんが“アナウンサーはゲイにモテないと意味がない”“芸能界はゲイばっかりだから、モテなきゃやっていけない”と話していました。触られた学生が嫌がっているのを見て山本先生が“やめなさい!”“訴えられたらお前、終わるよ”とハッキリたしなめていらっしゃったんですけどね……」

 場を盛り上げなければならない空気があり、学生たちが拒否することは難しかった。後日、園田さんはひとりで若林氏の自宅に行くことになる。

「毎週のように誘われました。断っていたんですが、周りから“そろそろ行かないとまずいんじゃないの?”と……。お伺いして、しばらくすると寝室に呼ばれました。何種類ものローションを見せられた後、僕を横向きに倒してその後ろに寝転んで僕の後ろにピッタリくっつくんです。その後、服の下に手が入ってきて上半身を触られて……

 普段からセクハラを受けていたこともあり、怖くて身体を動かせなかったという。

マッサージ器を股間に押しつけて“立ってる?”と聞いてきました。“立ってないですよ”と答えると“いやいや、うそうそ”と。最後までしたら自らのアナウンサー生命が断たれますから、それはないと、タカをくくっていたところはありますね。黙っていたら身体中を触られ、気がすんだのか、急に解放されました」

 被害にあったのは園田さんだけではない。過去には先輩も自宅に呼ばれているという。

「先輩は寝室でのセクハラの後、“お風呂に一緒に入ろっか”と浴室へ入ってこられたそうです。僕はお風呂はひとりで入りましたが、その後は心配でなかなか眠れませんでした。

 朝になると若林先生がやってきて、また身体を触り始めたんです。今度は服をずり上げて乳首や腰のあたりを舐めてきました。その日はスクールがあるということで先生の気がすんだところで終わり、一緒に家を出ました」

 その後、勉強会で会っても若林氏は普通に接してきたという。園田さんが自分の経験を告白することを決めたのは、いま話しておかないと後悔することになると考えたからだ。

「師匠として仰いでいた人ですから、当時は拒絶するのが怖かったんです。大学で指導してくださる“元・日テレアナ”ですから恐縮してたんです。自分が我慢すればいいのだと思っていました。

 最近になって、DVやセクハラ、パワハラなどのニュースを見たときに、そのときの記憶がよみがえってしまって。今となっては、立場を利用してエモノを探していたんだと思いました。僕は純粋にアナウンサーになりたくて講座に入ったのであり、先生の接待のためじゃないんです。今はもう夢を諦めました。怒りは感じています」

 事実であれば若林氏には人を教える資格はない。5月17日、スクールの授業終了後に出てきたところを直撃した。