漫画『北斗の拳』から北斗龍と命名!?

 その年、丸山さんと一緒に北の湖部屋に入門した仲間は8、9人ほど。

 新弟子候補生たちは、北の湖部屋の2階と3階に用意された大部屋で集団生活をしながら、さまざまな雑用をこなしつつ3月に行われる新弟子検査合格を目指す。2階にあった40畳の大部屋で、兄弟子を含む13~14人での集団生活が始まった。

「部屋ができてまだ2~3か月だったけど、北の湖が現役だったときからスカウトした先輩が12人いた。一番上でも3年ぐらい上なだけなんだけど、3年稽古していると身体が違うんだよ、見るからに威圧感があって。話しづらいんだよね。身長が2メートルあるやつもおったしね(笑)」

 丸山さんを新弟子時代から知っている前出・松尾さんは、

「あのころの丸ちゃんは元横綱の大乃国(現・芝田山親方)によく似ていましたよ。もう背格好からそっくり。髪の毛もふさふさだったし(笑)。

 将来、大物になると思ったか? う~ん……、いやいや。昔からやさしい温厚な性格だったしね(笑)」

故・北の湖親方を偲ぶ記念碑の除幕式を待つ合間に。本人隣に山響親方
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 稽古の厳しさで知られる大相撲の世界。だが新弟子候補生たちには、稽古以前に山のような雑用が待っている。

「朝は5時半に起きて、土俵の砂をならしたりの準備をして。それから四股踏んで鉄砲して、腕立てとかの準備運動をやってから、6時ごろからは番付の下の者から10時半ごろまで申し合い(土俵の上で2人で勝負する実戦形式の稽古)。これは三十番から四十番ぐらいやる。それからぶつかり稽古。この一連は本当にキツい。

 稽古が終わったら砂を落として、風呂番は風呂の湯をためたりの雑用をしたら、親方から順番に風呂に入って」

 午後は午後で、まわし上げ(干してあったまわしを取り込む)や洗濯など夕方の8時ごろまで雑用に追われ続ける。

 こうした毎日に、新弟子検査前にやめてしまう同期も多かった。

 そんななかでも丸山さんは、昭和61(1986)年3月の新弟子検査に、身長177センチ、体重100キロでらくらくと合格。だが入門早々、力の違いを実感させられた。

 同部屋同期に、厳雄(がんゆう)関がいる。2015年11月に北の湖親方が死去。それにともない北の湖部屋は名称変更するが、同部屋を『山響(やまひびき)部屋』と改名継承した、現在の山響親方その人である。

「相撲の稽古は、同じような実力の者同士でやって、勝てるようになると、親方から“お前、もうひとつ上に行け”とか言われるの。

 厳雄関は中学のころから相撲の全国大会に出て勝っているような人だったから、俺らの稽古ではなくて次の稽古。レベルが違っていた。見ていて勝てる気がしなかったね」

2014~2015年ごろ、取組前の北斗龍

 丸山さんは昭和61(1986)年3月の大阪場所の前相撲(大相撲で番付外の力士が取る相撲のこと)で、『丸山』の名で初土俵を踏む。

 当時の前相撲では3勝すると一番出世、3勝2敗・3勝1敗で二番出世と言っていたが、丸山は3勝2敗で二番出世をして、北の湖親方から、『北斗龍』の四股名をちょうだいした。次回の5月場所から、この四股名を名乗るのだ。

「“カッコいいなあ!”と思ったよ(笑)。北斗龍の四股名の由来? 親方はそのころ、漫画の『北斗の拳』をよく読んでいたんだよなあ。それでつけたのかも。わからないけど、その可能性はあるんじゃないかな(笑)」