アフリカの子どもたち

 プロになった'79年から数年は、全国を回って年間200公演以上をこなした。声がかかればどこへでも行った。

 しかし、経済的なやりくりは大変だった。年間200公演とはいえ、単価は5千円から1万円程度のものが多い。知り合いの音楽練習スタジオのアルバイトで足りない生活費を稼ぎ、全国を飛び回る日々。コンサートの機材を借りると赤字になるため、機材をローンで購入し、バンに乗せて移動することにした。

 一方、会社を辞めたからこそできたこともある。そのひとつが海外への旅だ。テレビ番組『兼高かおる世界の旅』に憧れ、自分の目で世界を見て、それを歌にして伝えたいという思いもあった。

 デビューから6年後、36歳のときに思い立ち、みんなからのカンパを握りしめ、アフリカに1か月間貧乏旅行をした。

世界中を旅し、子どもたちとの出会いの中で感じたことも大切にしながら歌を作ってきた
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「そのころ、アフリカの飢餓が大変なニュースになっていて、ケニア、エチオピア、ウガンダを回った。内戦中のウガンダでは銃口を突きつけられ、夜は銃声が聞こえた。エチオピアの紛争地帯は食料が不足していて、スラム街にやせた子どもたちがたくさんいました。そうした実状を感じた後に、ケニアにあるグレートリフトバレーから眼前に広がる草原を見たとき、『リフトバレー』という歌ができました」

「超えることができないものがそこに横たわっている」と歌った歌だ。困難な状況に置かれた人にどんなに寄り添っても、完全にその人になることはできない。今でも多くのファンの支持を集める歌だ。

 福井県で介護職に携わる門嶋啓修さん(33)は、この歌を思い返しながら現場に立つと言う。

「困難な方の話をどんなに丁寧に聞いても、僕は完全にその人になることはできません。だから、わかったようなつもりで思い上がりを持っちゃいけないということなんだと歌から学びました」

 べんさんは、表面的なことで人を判断することはない。

「マネーマネーと言って手を出す子どもたちに、俺もお金がなくてお腹すいてるんだと答えたら、逆に、このパン食えって僕に恵んでくれた。違う場所では、土産物を売ろうとして寄ってくる子どもに、いらないと言うと蹴飛ばされたこともある。でも、その子だって仲よくなれば僕に道を教えてくれるんだよ。そんなふうに実際に見たことや感じたことを歌にして歌うのが僕の役目だと思ってる」

 海外から戻ると、べんさんは必ず報告会を開く。旅で見聞きし、感じてきたことを、できるだけたくさんの人に伝える。

「全部で26か国を訪れたけどわかったのは、どこの子どもも同じだということ」

 テストでいい点が取れなくて悩む子どもも、エチオピアのつらい環境で僕を蹴飛ばした子どもも、みんな同じ子どもだとべんさんは言う。そして、どんな子どもにも「生きているだけで君の存在は素敵なんだよ」と伝えたいという。それがべんさんの願いだ。

「“なんだかヘンテコなおじさんが、僕のことわかってくれてる”つらい思いをしている子どもたちに少しでもそう思ってもらいたいんです」

 北海道で最後に言葉をかけてくれた先生のように、べんさんは歌にその思いをのせて、全国の子どもたちに届け続けてきたのだろう。