7年ぶりの舞台と「新しい夢」

 まず自分で生計を立てられるようになろう。社会に出てみよう。アルバイトを転々とした末、あるイベント運営会社に職を得る。

 そんな中、ひとりの女性が訪ねてきた。さくらいが働いていたイベント運営会社のスポンサー企業の理事長・大橋節子氏だった。同氏は振り返る。

「当時、私は通信制高校の校長もしていました。そこの生徒は、いじめで不登校になるなど、普通の学校で挫折してきた子どもたち。彼らに自信を取り戻させたいと、たびたびイベントもしていました。りょうこちゃんに会いに行ったのは、彼女が関わっていたイベント活動に関心を持ったからですが、会ってみると、美人さんなのに表情が硬く、暗い印象で……。でも病気のこと、音楽のこと、今の思い、いろいろな話を聞いて、“この子は、いずれ大きく花咲くだろうな”と思いました」

 後日、その大橋氏から、さくらいに電話が入る。

「あなた、本当はフルート吹きたいんじゃない? 2週間後のうちのイベントで20分間、あなたの時間を作ったから、高校生たちの前で病気の体験談とフルートの演奏をしてよ」という。

 言葉に詰まった。吹きたいかと言われれば、もちろん吹きたい。だがフルートを断念してから早7年、34歳になっていた。2週間で準備なんてできるわけがない。でも「できないって言わない」という自分との約束もある──。

 どう答えたらいいかと口ごもる間にも、大橋氏はどんどん話を進めていく。「じゃあ、よろしくね」。そう言って電話は切られた。「断るなら早くかけ直さなくては」と思うのに手は動かない。こうして7年ぶりに、さくらいは舞台に立つことになった。

「このときも話が決まってからずっと“私には必ずできる”って唱えていましたが、当日は緊張で足の震えが止まりません。でも舞台で光を浴びたらすごく気持ちよくて“やっと、ここまで戻ってこられた”と思ったんです。演奏はぎこちなく、上手に話すこともできませんでしたが、舞台で拍手をもらえたことが、本当にうれしかったですね」

ライブでのひとコマ。ハープを弾くのは小、中、音大の同級生の石井さん
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 前出の大橋氏からも、「あなたの話や演奏を聴いて喜ぶ人が、こんなにいるのよ」と勇気づけられた。それから間もなく会社を退職、体験談と演奏による講演活動を広げていく。35歳でベーシストの男性と結婚し、二人三脚で全国を飛び回った。その間、幸いにもいい治療法と出会い、痛みはかなり軽減していった。そして50歳を目前にして「あと10年間、全力でがんばりたい」と、いっそう奮起したが、このころから夫との温度差を感じるようになる。

 自分は病気によってたびたび道を阻まれてきた。次だって、いつ倒れるかわからない。走れるのは今だけかもしれないのに─。結局、温度差を解消できないまま離婚を選んだ。気心の知れたパートナーを失うのはつらかったが、「自分の人生を生きるんだ」と固く決意する。

 その中で、またひとつ、夢が生まれた。今までのことを本にまとめ、自身が力をもらった「生きる支えになる言葉」を多くの人に届けたいと思うようになったのだ。

「夢に日付を入れれば、それは努力で達成できる『目標』になる」

 すでに今までで一番、大きな舞台に立つことが決まっていた。そこで、自分の本を届けられたら─。出版という夢の日付は、その舞台の当日に定められた。

 ここで冒頭の場面となる。

 はたして京都国際会館のロビーには初の著書がズラリと並べられた。講演後、大勢の人が次々と手に取っていく様子に、また感謝で胸がいっぱいになった。